二季(再掲)
2021年10月28日にアップした記事を一部加筆修正したものです。
二季
夏が終わって、もう一度夏を迎えるまでに眠る子にかける最初の布団は少し厚くて暖かい。寝苦しさは、だから仕方のないことだと起きている間中に私たちは話し合った。それでも覚える心配の為に、私はここにいる。次に目覚めるまでには伸び放題になる髪の毛で、その顔が見えにくくなることがないよう短くしたばかりの頭に手を乗せたりして、ゆっくりと撫でている。微睡みに揺れる頬の内側はそれに反応して、いつもみたいに笑んだような形に必ずなるから、それに呼応するようにして今度は私の心が綻ぶ。眠る前に一緒に読んだ絵本の絵と、私が書いた文字を見て今日のこの子は特に大きな声で笑っていた。だから、その名残りを惜しむ。
思うことと、思ったこととの間に時間が入り込む暇(いとま)を与えないほどにぴったりと寄り添ったあの喜びの表現は、本当に宝物だ。平静を心がける私の比重を偏らせる。その喜びに傾く世界の端に入り込む日陰に寄せられる不安には、その反対側で明度を増す日向の中でのんびりする期待があって、覚めた声をかけてくる。いつか終わりを迎えることを知っている大きな私が知らないままでいる努力を続ける、そうして保てる明かりがこの子の全てを照らして、こうして隅々まで輝かせることができるなら、私という存在は季節と共に遮光カーテンを勢いよく開き、そして今は優しく閉めることが出来る、と。
そうして室内灯の灯りは目立ち、外光の忍び足が気配だけを伝えてくる部屋の塩梅は物としてのアルバムに収まった写真を片付ける途中のような活気があり、だからこそ、枚数が少なくなっていく寂しさを床に敷く。このまま私が何もしなければ、気持ち良さそうに耳に届く寝息の拍子が幼い幸せのままでいられる。けれど、季節は巡る。
私たちは常に余分なことをして生きていかなければならないし、生きるのに必要な手縫いの衣服は恥ずかしさに縮められる。けれど、思い切りの良さに破けない素材を神様から与えられたのだそうだ。だから私とこの子が使う色鉛筆とスケッチブックは、すべての夢を隠さない。
遅い昼食を済ませて大きな一皿に残ったソースをキッチンタオルで拭き取り、夏に合わせたままの数字の給湯器を動かして温かくサッと洗って片付ける。ハンドタオルで滴を拭ってから頑丈なケースに収まるタブレットを起動させ、発注のメールに目を通す。可能なものと受けたいものの仕分けを私個人がするのは難しい。次の季節には帰って来るあの人に今すぐにでも任せたいところだけど、暦に沿って作られる予定を自分勝手に進めたところで世界が歩調を合わせてくれることはない。こういうルールは守る方が繋がりやすい、大事なのは、それが繋がれるルールかを知るために立ち止まれるかということ、それを誰よりも変化に合わせて生きるあの人と過ごす内に学べたし、気持ち良さそうに眠るこの子が証明する。動くこともそうしないことも胚胎することになる程に世界には命が兆しを得ていて、また失われやすい。この命題を背負ってしまう私が愛するあの人と、その間に生まれたこの子を抱きしめられるのも関わりをもつと決めたかつての第三者としての私のお陰で、それを人というのだそうだから。
理解できなくても、どうせ実行するのだから私は。
起こさないように、音を立てないように座椅子を引いて座る。伸ばした足の先で薄手の靴下を履いた両足を重ねる。描くものと書くものを数本ずつ取り出して、両腕を真上に伸ばす。思い付いたものは、何も無い。
けれど。一振りの巻き物のように喩える命の始まりと終わりのときが同じにならない理(ことわり)はこうして過ごす時間にまで及ぶこと、それを拙くも肌に触れる言葉で一所懸命に噛み砕いて、飲み込んで。そうして根を張り続ける私の心は暑かった夕方に開く窓から感じ取れる微風に揺れ、瞬間的な強風に押されても何も無かったように戻るから不思議で。急用を思い出したみたいに風が止んで、道に沿って広がる灯りに潜むことを忘れたようなあの夏の夜、掴まり立ちから手を離し、私の元に不安定な駆け足で戻って来る姿をぎゅうっと抱き止めたから。何があったのかと驚いて、小さなその身を顔から起こし、私を見つめる両の目を受け止めてこの私の喉が、形にしたもの。
どの頁にも描いたあの日の記憶が引き寄せる果物ナイフと、半分に切られた柘榴の実から溢れる無数の種の心象が私の望みを少しずつ叶えてきたようにできたね、頑張ったねという正しい表現にその姿は整えられて、出会いを果たせるようになった互いの「する」ことと「される」ことが私たちの間でその歯車を噛み合わせる。
死ぬ愛も、生きる愛も。
カーペットを転がす前にこの子の足が鳴らした床に手を乗せ、拭き掃除を済ませながら少しずつ季節を離れる私の心を引き受ける私は必ず生まれるし、落葉樹の色とりどりを抱えていつまでも変わらない姿を見せるあなたに抱きついて、もう何もかもを忘れたかのように次の季節を生きる私も、きっと現れる。その頃にもすやすやと、幸せそうに夢を見るこの子を見守って私たち二人、生命(いのち)を燃やす。何の因果かは知らない、たった二つの季節を大きく跨ぐあなたとそれを丸ごと受け止めた私たちのことを囁けるものが焼かれる夕暮れに深い色は、落ちた葉を踏み鳴らして歩く目の前の背を見上げるいつかの小さな未来の事ばかりを思い、袖を長く通した手とその影を引き連れた片付けを進める。整理を終える。
だから、出来ないことを夢見る奇跡を拾って私たちが広げる風呂敷は地面を覆い、突風をものともしないだろうね。一年中鳴く蝉も私も、竹箒に乗っては空を飛べないし、私の好きなあの人だってその首を横に振る。奇跡は起きないから奇跡、それを違う、そうじゃないと返事をする今度は私の順番。操作と手順を教えてお願いする、瞬間的な奇跡は嘘みたいに画角に収まる。西向きの窓、魔女には要らないはたきを置き、シルエットだけになった私はこの夏に蓋をして閉じ込める。そうして起きて話せる事だけが真実なのだと思わない、私が掛ける秋口の電話が鳴り響き、そばを離れられないあなたが静かに出て名前を名乗る。その一連の仕草を真似ることを起きて夢見る一人として、この子ができるようになるそんな日が一番に迎える朝を高く掲げる、白く洗われた物がぱたぱたと旗めき、小さなラッパは音を外して笑われて、いつのまにか大きくなった自転車が出掛けようとする旅路を地図上の指で追い。
実らせる。現実に乗せるものを甘く、濃くして。
二季(再掲)