全知の畑

 ニンジンは今晩のマーサの夕食でサラダにされることを知っている。
 マーサは3人兄妹の末っ子で、今年で19歳になる。彼女は村一番の淑女で、村で彼女を嫌う人間は誰もいない。
 彼女は(客観的にみれば)とても素敵な女性だけれど、男性との経験が一度もない。浮いた話も出ない。それは閉鎖的な村での監視下的雰囲気と、ある程度完成されてしまった彼女の所謂手のだしにくい聖女的良い人像がもはや手遅れ気味に定着してしまったせいである。
 マーサはそのことを最近すこし気にしていて、ストレスから胃液の酸度が上がっている。
 ニンジンはそんな彼女の強い胃酸でペーストにされる自分の生涯を、意識が芽生えたその日から億劫に感じてはいるけれど、どうすることも出来ないことを知っているので、静かに心に涙を流しながら畑の主のヘンリーに収穫される。
 

 ジャガイモは明日刻まれて豚のエサにされることを知っている。
 明日ジャガイモを食べる豚は、勿論人の言葉なんて知らない。けれど人に例えてみればその豚は中々に詩人で、陽の温かみや、草木の匂いにとても感傷的になる豚だった。
 レオニの絵本のネズミみたく、それを外界に伝える手段と理解の出来る教養のある仲間があれば美談にもなるけれど、人どころか辺りの仲間にもそれは認識も重宝もされず、その豚もジャガイモを食べた24日後に屠殺されてベーコンに加工される。
 ジャガイモはそんな豚を想って、寄り添って理解してやりたいと考えながらも、なにも出来ないその自身の植物の身体をなにより知っているので、心で鬱屈な溜め息を吐きながら、畑の主のヘンリーに収穫される。
 

 タマネギは外皮が傷んでいるために、この収穫後に棄てられることを知っている。
 すこし皮を剥けばたいして問題がない程の傷みだけれど、最近親に畑を譲られたばかりのヘンリーはそのことを知らない。
 ヘンリーは以前都会で銀行員をしていた優秀な人間だった。けれど彼が尊敬する父親の体調の悪化を知ると、彼はすぐにこの村へ帰ってきて畑を継いだ。
 彼の献身は素晴らしいもので、そこになんの裏もなく、心からの善意で父の代わりを果たして村へ野菜を送っている。
 ただそのことについて『素晴らしき哉、人生!』のような素敵な終わりはなくて、彼は6年と5日後に畑で掘り返した鉄片で足を傷つけて、破傷風で9日間高熱を出して死んでしまうことを傷んだタマネギは知っている。
 そうしてタマネギはヘンリーの手に握られながら、どうか自らの傷にも意識を向けるようヘンリーへ願うが、それがどうしても伝わらないことも知っているので、ただ出せない言葉でヘンリーに別れを告げて廃棄の籠へ投げ棄てられる。
 

 ここは全知の畑で、ここに埋まる野菜たちは今までのことも、これからのことも、人の心も記憶も、あることもないことも、なんでも知っている。
 ただ知ることしかできない彼らは、湿った土に埋もれながら、身を捩ることもできずにそれぞれにその時を待っている。
 そしてそんな野菜たちの気持ちを村の皆は誰も知らずに、穏やかな食卓を囲んで、そうした人々のためにヘンリーは今日も汗をかきながら畑を耕している。

全知の畑

全知の畑

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-23

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