『深瀬昌久 1961―1991 レトロスペクティブ』展
一
カメラを構えた撮影者の、主観的「客観」を記録するという写真撮影の核心から生まれる分岐点は、一方で「客観」のカッコ書きを剥ぎ取ることに向けた被写体との距離の取り方に切り拓かれていくのに対して、もう一方では「客観」を成り立たせる主観的認識フレームを活かす撮影スタイルの確立を可能にする、と考えてみる。
その違いに少しでも迫れる例として、絵になる仕草や心を射抜く表情を被写体から引き出すために画角外でのコミュニケーションが重要になるポートレート撮影の場面を想定すれば前者においてレンズを向けるべきは感情の自然美とでもいうべき瞬間であり、撮影結果として残せた記録上、どれだけ撮影者の存在を希薄にできたかが作品表現の良し悪しを決める。
これに対して後者では、撮影者が被写体に働きかけることで生まれるリアクションの生々しい変化をどう記録すればいいか、その術の構築と実行に表現者が頭を必死に悩ませるだろう。なぜなら、捏ねた言葉でどう表現しようともシャッターを切って記録できるのは被写体の瞬間でしかない。連続写真のような、その前後の動きを想像させる中途半端な一枚を撮って、それを被写体との関係性が生成される過程の生々しい変化と強弁しても多くの人の興味を引くのは難しいだろうし、心に残る写真表現として記憶に刻まれることもないだろう。と記すとき、筆者の頭にはいつもソール・ライター(敬称略)の写真表現が浮かぶのだが、かの写真家においては確かに被写体の配置や配色の妙で捉えた一枚に物語性が付与され、その前後を鑑賞者が積極的に想像してしまうという動的時間が記録されはする。けれど、氏の写真作品に関する筆者の記憶をどう掘り返してもソール・ライター本人の気配を感じ取れる作品は見つからない。寧ろソール・ライターの名を轟かせた写真表現の核心は被写体となった街に住む者の誰の記憶にも残らない「訪問者」として撮り続けた点にあるというべきで、主観的「客観」の消去に最も成功した一人としてソール・ライターという写真家を評するべきと考える。故に、氏の作品表現をもって主観的認識フレームを活かす撮影スタイルの実態に迫ることはできない。
では、とシンプルイズベストな発想の瞬発力を活かして撮影者自身もフレーム内に収まり、被写体となって記録されればいいのではと考えてみる。
かかる手法によれば、確かにどう写したいかという願望を、どう写るべきかという応答と噛み合わせることで表現者の欲望を「客観」的に撮影し、記録として残せるのと同時に、表現者の主観的な表現欲求を実現し続ける「もの」として写真作品が半永久的に機能し続ける。
東京都写真美術館で開催中の『深瀬昌久 1961―1991 レトロスペクティブ』展でも下半身だけを下着で隠して楽し気に並んで写る深瀬昌久その人と、彼と結婚するまでに至った恋人、洋子との微笑ましい一枚を拝見できたが、かかる一枚をして入れ子状になった主観的認識を活かす写真作品と評価できる。そう思いはした。しかしながら本展で拝見できた「洋子」シリーズを鑑賞すると、さきの記述が理屈に頼った言葉的説明に終始し、写真表現としての肉付けに欠ける表層的なものでしかないことがよく分かる。
記憶違いでなければ写真家、深瀬昌久(敬称略)は三階の自宅から出勤する妻、洋子の姿をひたすら撮り続けた。
モデルとなった「洋子」の表情や仕草にあるバイタリティに誰よりも惚れているのが撮影者、そう自覚する熱っぽさを隠しもせずに声をかける、それを聞いた彼女がお茶目に振り返って取るポージング。その瞬間を精緻な写真技術と生来のセンスでしかと切り取って、深瀬昌久という写真家は記録に残す。恋に恋する習慣は、そうしてその表現者の作品となった。その中身を見てモデルとなったかつての妻、洋子はそこに私が写っていない、ただただ彼のエゴがあるだけと評したという。
その感想に対して激しく同意する筆者は、けれどだから写真家、深瀬昌久が撮った「洋子」は素晴らしい写真作品であり、そこにあるものこそ主観的認識を駆使した理想的な写真だと確信する。しかしその理由には迫れない。「洋子」だけじゃ足りない。そう考える根拠を検証するにあたっても筆者はすぐに深瀬昌久の代表作と言い得る「鳥(鴉)」に覚えた衝撃と、視界の迷いを晒さなければならない。
拙い理解と言葉で記せば、「鳥(鴉)」は洋子との結婚生活が破綻した後で深瀬昌久の故郷、北海道の地を巡った時の記録から成る作品集である。シュルレアリスムの抽象表現を研究し、その実践を雑誌などで発表していた経歴も展示会で拝見できた写真家、深瀬昌久であったから人間以外の要素から成る、その写真風景のしっかりとした骨格に持てる疑問が筆者の中にはなかった。それよりも何かと評したがりな筆者の口を塞いだのは、「洋子」シリーズを始めとして鑑賞する写真作品の方から散々漂ってきた深瀬昌久という撮影者の体臭=エゴが全く消えていた事実である。
丁寧に書かれた展示コーナー冒頭のキャプションで撮る側と撮られる側という関係性から生じた無理が妻、洋子と別れる原因となったということ、その事実に深瀬本人が深く傷付いたこと、そして事後に知れた事実として、実は洋子と恋仲になる前にも深瀬は子供を宿した恋人に逃げられており、その傷が深掘りされた格好になって迎えてしまった洋子との離婚だった。という憶測に近い推測を論理的に行ってしまった筆者は、だからかの写真家は虚になった目で故郷の風景やそこに住まう猫、そして作品集のタイトルにもある鴉(たち)の様子を窺い、何も思う前にレンズを向け、シャッターを切って残していったものが世間的にも評価された。そう物語的に綴ることが難しくない、それが「鳥(鴉)」という作品集の事実でないかと考えた。しかしながら展示会場で「鳥(鴉)」を作り上げる各写真作品を観ていた時の記憶の明滅を思い出すと、そんなことじゃ済まない事態が起きていたと思い直さずにはいられない。
二
例えば「表現対象をイメージ化し、その内容から言語を通じて共有可能な記号的意味を抽出、それから各記号の関係構造を把握してから比喩などの作為を通じて再度、記号的要素に還元して成立する」と説明することができる抽象表現ではある。
けれど、それをそのまま実行すれば素晴らしい抽象的な作品表現になるとは決して言えないと断言できるのは、例えば「既に始まってしまっている」と思わざるを得ない現実への実感に遅れて私と名乗れる意味認識の「世界」が始まるのと同じで、鑑賞体験に伴う感動が先ずは言語に先んじる。それは疑いようのない事実だから、技術としての構造分析の必要性が認められても、それが全てではないという言説がカウンターとして主張されて収まることがない。
ではどうすれば?という問いは、だから「ここ」でこそ発生して然るべきであるが、けれど満足な答えは必ずと言っていいほどに返って来ないと筆者は考える。言語による説明を必要最小限にしようとすれば、禅に近しい精神論になりやすいと思うからだ。生業として表現行為を行う際に直面する経済活動的側面に纏わる現実を考えれば、そんな雲を掴むような話に付き合っている暇はない。だから誰もが戻る、記号に戻る。
けれど、そんな表現者の迷いと現実の霧に包み込まれるような歩みの向こう側の景色として写真家、深瀬昌久が手掛けた「鳥(鴉)」の異様は羽ばたく。どうやって、の問いを飲み込むような伽藍堂の生き様が温もりをもって目の前に降り立つ。人間一般が操れる記号的操作を拒みもせず、だからといって無機質な情報処理に止まらない鼓動を感じさせる。言うなれば私という生き物が「本当に」見ているものを、カメラという機械も「本当に」見てしまったという真実。二度は遭遇できない奇跡ないし偶然をものにした写真家、深瀬昌久と言わざるを得ない。
故に主観的認識と口にする時に自然と喚起してしまう意思主体としての私をどれだけ忘れられるか、いや捨てられるか。その凄みを「鳥(鴉)」が示してくれるなら、「洋子」シリーズはぎゅうぎゅうに詰めた主観的認識による支配を、各表現媒体の性質によって決まる枠組みとの関係でどれだけ自然に見せられるか。エゴイストな現実をどれだけ素敵に誤魔化せるかという勝負所を見せてくれる。この両極をもって、筆者は深瀬昌久という表現者に敬意を表する。
三
写真家らしい写真家。ありきたりながらも燦然とした輝きを放つ称号に相応しいその軌跡を是非、現在開催中の『深瀬昌久 1961―1991 レトロスペクティブ』展にて拝見して頂きたいと思う。
追記 前回の投稿記事にも記しましたが、次回からも引き続き隔週で更新したいと思います。ご了承頂けますと幸いです。
『深瀬昌久 1961―1991 レトロスペクティブ』展