「恋した瞬間、世界が終わる」の“海辺のカフカ”覚え書き2
村上春樹が新作を出す
タイトルは「街と、その不確かな壁」という
タイトルから、ドアーズの曲を思い浮かべる
壁を通り抜けることについての話なのかな?
「海辺のカフカ」を最近、読んでいた。
再読していた「ねじまき鳥クロニクル」のあと、読み始めた。
新作が出るとの話がネットに上がり、ノロノロと読んでいたペースを高速にした。
ようやく、先日、読み終えた。
物語を読むとき、現実の自分と何処かしらの部分が重なり合うのかを探りながら読み進める。
その物語を通じて、現実の自分の何処かを乗り越えようとする動きがある。
感情移入ではなくて、もっと奥まった場所にある。
物語を書くときにも、その動きは似ている。
物語を書くことを通じて、現実の自分を乗り越えようとする動きがある。
自分の人生についての何らかの見解を、書くことを通じて探ろうとする。
人生の謎や、世の不思議、分からないこと、知りたいこと、それに触れようとする動きがある。起こる。
書きながら感じて、書き終えたときに、それは分かる。
書くことを通じてだけではない、彫刻でも、絵でも、家庭菜園でも、盆栽でも、そういった神秘的な部分に触れる瞬間ができる。
自分が“すること”を通じて、初めて起こる。
向かってくる煙がある。それはすぐに消える。だが、余韻を遺す。
「海辺のカフカ」は、初めて読んだ。
僕が読んだことのある村上作品は多くなく、今後も色々と読み進めてゆく予定。
昨年、ブックオフで中古で買った。
そのブックオフは、ある日、“もぬけの殻”になっていた。
窓ガラスから見通せる元店内には、何も無くなった空間があるだけだった。
「魂が抜けた体」
“もぬけの殻”をネット検索したら、魂が抜けた体も意味する。
そこに『有った』ものは、もう「無い」。
思い入れがないわけでは無い。そこで買った本たちの記憶がある。
そこに売った本もある。
本棚に店内の外から入った日差しが落ちていた。
あの奥、あの角の棚。
店内の暖房器具の場所。暖房器具の風量で揺れていた部分。
奥まった場所で買われることのないまま終わったであろうマイナーな本たち。
買おうか迷ってやめた本かCDがあったかもしれない。
そんな記憶の角、奥。
忘れ去られた棚には、もう会うことはないーー
村上春樹が新作を出す
タイトルは「街と、その不確かな壁」という
思い出の中、記憶の中、思い出すとき、振り返る時
思い出を、記憶をすり抜けて
忘れ去られた棚にあった『本』を読むことが出来るのであろうか?
村上春樹は何処に触れる?
「恋した瞬間、世界が終わる」の“海辺のカフカ”覚え書き2
小説 恋した瞬間、世界が終わる
最新話は、3月中にアップロード予定。