残響

Complete

「お久しぶりです」
レストランの一席で、男が女に話しかけている。女からの返事はない。男がそれを気にすることはなかった。

「貴女が死んでから、半年が経ちました。長いようで短いですね。それだけ貴女のことを考えていたんでしょう。本当は2年くらい経ってたと思ってました」
男は脳で生成された言葉を修正することなく口から吐き出すように話している。女はその言葉にうんともすんとも言わない。

「お待たせしました」
店員が1つコーヒーを持ってきた。男の分だけのようだ。
「貴女が死んでからも、貴女の歌ばかり聞いていました。もちろんその他の歌も聞いてましたよ？好きなアーティストの歌。Youtubeで偶然流れてきた歌。誰かの車の中でラジオから流れてきた歌。友達から紹介された歌。それはもうたくさん。
そんなことがあっても、貴女の歌が僕の脳から離れることはありませんでした。無意識に口遊む歌は貴女の歌ばかりでした」
男は運ばれてきたコーヒーには目もくれず話した。女は顔色ひとつ変えずにそれを聞いていた。

「お待たせしました」
店員が1冊のノートを持ってきた。テーブルの上に置かれたそれを、男が手に取る。
「これは、貴女への想いを書き綴ったノートです。最初は日記を書くつもりでした。何気ない日常を、形として残しておこうとしたんです。1日目、10日目、100日目、気がつけば、7日目あたりから貴女のことを書くようになっていました。今日はこの歌を聴いた。その時の感情はこうだった。救われた。殺された。そんな内容が書いてあります。僕はここから詩を書きました。それにメロディーを当てました。貴女がよく愛用しているメロディーです」
男はノートをパラパラとめくりながら、我が子を見るような眼差しで話をした。

「見て下さい」
男が外を指差しながら言った。
「すっかり暗くなりました。なのに、貴女に言いたいことはまだ山のようにあります。尽きることはありません。一体いつまでこうしていられるのでしょうか…。永遠が無いことを唄う貴女の前で、僕は永遠になろうとしているんです。なんと背徳的なのでしょうか」
そういうと、男は内ポケットからナイフを取り出した。女はそれにも顔色ひとつ変えなかった。
「僕は…答えを出せずにいました。どうして生きているのか。どうしてこうも辛いのか、どうしてこうも空白なのか。その空白を埋めてくれたのは貴女の歌だったんです。この広いネットの中で、僕は偶然貴女にたどり着きました。貴女の作り上げるメロディー、そこに添えられた歌詞、怒り、呪い、嫉み。貴女の今までの人生が脳みそに流れ込んできた時、僕は幼い頃の記憶を思い出したんです。団地にぽつんと存在した雑草だらけの小さな公園。錆びついた遊具たち。猫臭い砂場。中央にあるウッドハウスの中の腰掛けの無い木のベンチで飲んだサイダー。隅っこに咲いたシロツメグサで作りあった花冠。僕の人生は、あの公園の中で止まっていたんです。いや、完結していたんです」
男が立ち上がる。
「僕も今から、そちらに行きます。あの公園に貴女がいることを願って」
そう言うと男はナイフを首に突き立てた。傷口から噴き出た血液が、テーブル、コーヒーカップ、ノート、女の顔を段々と赤に染めていった。
男は息絶えた。机の上に突っ伏し、2.3度痙攣して動かなかくなった。
女はそれを見届け、男が綴ったノートを手に取った。1ページ、また1ページとじっくり読み進んでいく。綴られた日記を読み終わる間に朝と夜が3回訪れた。
最後のページを読んだあと、女は一度目を閉じて深呼吸した。そして姿勢を正し、最後のページにサラサラとペンを走らせた。

また一つ、誰かが救われる唄が生まれた。