冥界府警保掛

冥界府警保掛

一、冥界基礎講習

一、冥界基礎講習

 オレは、名をセイジロウという。冥界府に住んでいる若い初級霊だ。オレは毎回、下界の人間を力の限り助けてきた。
 冥界について勘違いしている人間も多いので一応説明すると、冥界府はオレら霊員の生きる世界で、人間が死後に来る場所ではない。死んだ人間の魂はオレら――警保掛(けいほがかり)――が仕事で集めて、直して、人間界に戻している。
 警保掛(けいほがかり)とは、太古に帝が下界の人間たちの為に作られた組だ。人間たちは死が迫ると大抵、強く祈りを念じる。人間の精神が死の際で出す強い祈りは霊員にとって音の響きとなるから探して助けられる。だが全ての祈りには応えられない。警保掛(けいほがかり)の霊員は少ない。
 警保掛(けいほがかり)になる霊員が少ないわけの一つは、霊員は下界の生命の生死に関係ないからだ。下界の生物と違い、霊員は衣食住に困らないし、決まった寿命もないから、永遠に寝ててもいいし永遠に遊んでいてもいい。冥界府では仕事はしたい霊員だけがする。
 だがオレは、人間の魂を世話する警保掛(けいほがかり)を組まれた帝の優しい御心が分かる気がした。人間はいつも存在するわけではなかったから。いない期間のほうがよほど長い。広い(そら)と永い時の流れの中で、下界の生命は出現しては滅ぶ。人間にまで成長する種族なしに滅ぶことも多い。同じ時に二つの地の星で人間が育った例は無かった。下界は光の星が燃えたり、地の星々が砕きあったり、甘い所ではない。
 警保掛(けいほがかり)になる霊員が少ない二つ目のわけは、帝に離反した匪賊霊たちが居るからだ。霊員は冥界府では死ぬことがないが、下界に居る間は違う。強力な匪賊霊と下界で争うのは危ない。霊力を尽くした戦いに負けてしまえば消えて別の(そら)に転生してしまう。
 警保掛(けいほがかり)だった親は二人とも、匪賊霊との戦いで転生していた。(そら)は無数にあるし、つながってはいないから、二度と会えない。
 匪賊霊は太古からの掟に従わない。
 動物の魂に呼びかけて体を借りるのではなく、禁忌の手段――人間の魂を乗っ取る――を用いて下界の物事の行方を左右する。
 一部の人間は、匪賊霊の操り人形になって悪事の限りを尽くす。そうすると、人間の魂はひどく汚れて、破れる。そういう壊された魂も含めて、人間の死後、全ての魂をもれなく集めて、よく洗って乾かして、破れを縫い直し、また下界に戻すのも警保掛(けいほがかり)の仕事だ。動物たちの魂は霊員の助けなく、自然に巡るのだが、動物の中でも、精神を持ち人間に達した種族だけは、自ら魂を巡らすことができない。動物は「精神」を発達させる段階で、いつのまにか霊員と話せなくなり、魂の自然な巡りが止まるようだった。帝が警保掛(けいほがかり)を作られる前は、気の向いた者が気晴らしに下界に降りたついでに、溜まった魂を冥界府に持って帰り……器用な者が暇つぶしに直し……気が向いた者が下界に持って行く……という風だったと聞く。

 最近、再び人間が地の星に根付いた。今回、人間はなんとか生き延びていた。共に地で生きられる他の種族だけを残すことができた。興をそそるのは、雀や烏、猫や犬という小さい動物たちが人間を身近に感じて生きていたことだった。だから、ある集落から人間が絶えれば、雀や烏、猫たちも姿を消す――そういうことになっていた。オレは一つの島国を受け持つ班に定められた。帝から補縄と短剣を頂くと、すぐに下界へ向かった。考えの悪い匪賊霊たちが、帝の目を盗んで下界へ降りるのも時間の問題だ。

二、人身保護実習

二、人身保護実習

 ある夕刻、太陽が沈む前、二人の百姓が山の森深くの街道を歩いていた。棒をかつぎ、袋を下げ、顔は日に焼けて黒かった。南の端のクニから北のクニに帰る長い旅をしていた。男たちは疲れ果てていた。左の男が右の男に言った。
「サキモリは長かったなあ……ほんとに」
「なあ……それだかて、帰れるだけましだ」
「だなあ。いっぱい死んだな。かず分からん」
「おれたち、村の方角が同じでよかったな」
「二人して帰れるもんな。ほら、ひとりのやつもいたべ。あいつ、さみしそうだったな」
「ばか。さみしいわけあるか。男一匹、やっと、おっかあや、せがれに会えるんだで!」
「だが、オイハギにでくさわんといいが」
「そりゃあ、おれたちだって同じだ」
「もう日が暮れてしまう。はよ森を抜けんと」
「余計なこと言うと、呼んでしまいそうだぞ」
百姓たちの心配は当たった。突如、茂みから音がして、追剥が二人に襲いかかった。左の男は抗う間もなく、脳天を割られて倒れた。右の男は急いで脇へ跳んで叫んだ。
「お上の務めの者ぞ! きさん何者じゃ!」
「ほお、お勤めの帰りか。つまり只の百姓だ。ごくろうだったな。カネと食い物を出せっ!」
 追剥は奪った刀を振り上げた。
「ひぃ、畜生め、やっとここまで来たのに、お前のような人でなしにくれてやれるかっ」
 百姓が抗おうとしたが、すぐに追剥に斬られた。オレは急いで空の鷹から野の兎に体を借り替え、近くまで駆け寄って、最後の祈りに備えた。追剥は百姓の首元に刀を据えながら言った。
「俺もサキモリだった。帰りの途中、オイハギになにもかも取られ、村人には追い払われ、山ん中で今日まで生きてきた」
「サキモリ帰りがオイハギに堕ちたか……」
「黙れ。俺は家に帰る。お前は死ねっ!」
「助けてくれ! 神様っ! 仏様っ!」
 オレは霊力を発した。野兎の姿をしたオレの両耳からまばゆい二筋の光が出て、二人と倒れた男の骸を包んだ。追剥は炎に包まれて燃え尽きた。百姓の二人は起き上がり、急いであたりを見回した。慌てて散らばった持ち物をかき集めると一目散に走り出した。
 陽が落ちたから、山の道は闇の中だった。オレは兎の姿のまま後ろからついて行って、光の玉を浮かべ、二人が山の麓に着くまで道を照らし続けてやった。
「お前さん、生きてたんか。死んだと思った」
「おめえこそ、よくオイハギを倒したな」
「いや、斬られたのは確かで、その後は覚えとらん。不思議なこともあるものだな」
「おら、火の玉って、怨霊だとばかり」
「しっ。この火の玉は神さんか仏さんじゃ」
 二人がふもとの村に着くと、オレは光を消して兎に礼を言い、体を返した。
 この村では今年は田畑が実り豊かだから、村人が二人に多少の世話はしてくれるだろう。死んだ追剥の魂を拾うと、オレは冥界府に届けに向かった。


 下界で時が流れた。ある年、この島国の春の祈りは相当な数に及んだ。この国の人間は、海の周りの国々と大きな戦を始めて追い詰められていた。戦自体は動物時代から生命の基本だが、人間は死を非常に恐れる。死の際に感じる痛みも半端ない。
 死が迫った人間の苦難の極みで出る祈りは大きく響くから、できる範囲で祈りに応える。
「後藤少尉、只今出陣致します」
「軍神となる貴官に栄光あれ」
 今日も島国の町外れの平野から薄い鋼の空舟が飛び立った。岸に押し寄せる陸の国からやって来る厚い鋼の大舟に飛び込むためだ。
 この島国は良い大舟や空舟を沢山造ったが、陸の国には到底敵わなかった。
 この若い兵は、敵の放つ鉛玉の雨を避けて、敵の舟にうまく空舟を落として沢山の硝石と共に炎になる任を与えられていた。この兵は空舟を操るのが上手かった。
「俺は今まで憎くて殺してきたんじゃない。死んだら兄弟同士だ、酒を酌み交わそうぜ」
 オレは海鳥に体を借りて海の上に居た。オレは窓越しに兵の顔を見ていた。兵は落ち着いていた。だが、大抵の兵は最期に鋭い祈りを一寸発する。間に合わないこともあるから、オレは兵を見ていた。空舟が今にも任を遂げそうになった時、兵が叫んだ。
「神様! 俺をこの地獄から救っ……」
 オレは直ちに霊力を発し、鋭い金色の光の筋が空舟と大舟に当たり、一瞬で包み込んだ。炎は起きず、空舟が砕け、乗っていた兵が大舟に転げ落ちた。殺そうとする敵兵を別の敵兵が止めた。短刀で自害しようとする空舟の兵をその敵兵は取り押さえた。空舟の兵は泣いた。悔しいようにも嬉しいようにも見えた。多分その両方だったろう。後から海鳥たちに聞いた報せによれば、この場に居た兵たちは、皆がこの戦を生き延びた。オレが喜びを感じるのは、こんな時だった。
 だが警保掛(けいほがかり)の仕事は尽きない。結局、最後は皆の魂を集めることになる。


 また下界で時が流れ、夏のある日、オレは死の際で助けを求める人間の祈りを聞いた。鷹の体を借り、祈りの音が出ている屋敷を見つけた。この屋敷は「パチンコホール」なる店で、この類の店からは普段勇ましい曲が流れているのだが、前まで来ると、曲は無く、電気の灯も消えていた。電気を運ぶ綱を支える木の柱の脇に居た三毛猫に頼んで体を貸してもらい、わずかに開いていた戸の隙間を通って中に入った。祈りを出している人間は奥にいるようだ。オレは踏み固められた土の床を無音で歩きまわった。猫は夜目が良く効くし、肉球や爪が備わっている。体はしなやかで、高く跳べ、どこにいてもあまり気にされないから、警保掛(けいほがかり)の仕事に合っていた。
 床には人間の血が点々と続いている。急に上で大きな音がして驚いた。猫は突然の音に敏感で、体を借りている間はオレもそうなってしまう。ボーンと響く音が十回。ぜんまい仕掛けの時計の音だ。オレは、賊が店に押し入って主か家人を刺したのだと推した。賊が単に人間ならオレだけで充分だが、もし匪賊霊の仕業なら応援が要るかもしれない。外で待ってもらっていた鷹に、上役への伝令を頼んだ。鷹は近所の烏や雀から様子を聞き込んでくれていた。賊は近くに住む乱暴な男で、ヒロポンを好む人間らしい。ヒロポンを使う人間の多くは、使いすぎて精神を破壊してしまう。結果、その人間は魂を守れなくなる。そして匪賊霊の格好の餌食になる。この国では先の戦の後、いろいろと何もかもが安ぜず、その乱に乗じて、匪賊霊が人間の魂を乗っ取る件が増えていた。まもなく鷹が帰ってきて「応援の到着まで半刻」との上役からの返答を伝えた。オレは応援を待てなかった。
 再び店の中に進もうとすると、近所の別の猫が近付いてきた。大きな白い雄猫で、オレに協力するという。オレが借りている三毛猫が彼の恋猫だという事情らしい。二匹で奥まで進み続ける。藺草を編んだ床の上に人間が倒れていた。祈りは弱くなっているが、この年寄りから出ていた。血だまりが大きいが、目を凝らすとかすかに息がある。この年寄りは生きている。相棒となった雄猫に近所の交番に走るよう頼むと、勝手口でカネを数えて風呂敷に包んでいる人間を見た。浴びた返り血も気にせず、包丁を無造作に捨て、無の表情だった。人間の魂の匂いはしなかった。古参の匪賊霊だった。向こうがオレに気付いた。
「若造。何が面白くて人間なんかを助ける?」
「あんたは、なぜ人間なんかを虐げるんだ?」
閃光が激しく散った。匪賊霊の霊力で電灯が割られ、硝子片と包丁が空を舞い、オレの周囲の藺草に鋭く突き刺さった。借りた三毛猫の体を傷付けたくない。オレは包丁と硝子を全部粉々に砕いた。窓まで割ってしまった。
「やるな小僧。だが、それまでだ。死ね!」
「帝の名において、貴様を連行する」
再び閃光が部屋に満ちた。男の姿をした匪賊霊からは何重もの赤の光の筋が、三毛猫の姿をしたオレからは青の幾重もの光が、共に轟音と相まって圧し合った。二色の光は絡み合い、火花を散らす。しんどい。苦しい。だが気絶したら負ける。負けは死を意味する。まずいことに、次第に青の光が劣るようになってきた。
「弱え! 警保掛(けいほがかり)だと? 笑わせるぜ!」
赤い光の束が一寸緩んだ気がした。匪賊霊が油断した。オレは隙を逃さず全精神を発した。
「うおおお! ぎぃぃあああ!」
青の光が太くなり、強く収束し、優になって完全に赤い球を包み込んだ。勝った。匪賊霊は男の体を床に投げ捨て、逃げようとした。オレは帝から託された補縄で、匪賊霊を捕らえ、短剣を突き付けて制した。
「帝の名において、冥界府に連行する」
(格好つけんじゃねえよ若造、あばよ)
匪賊霊は自ら死んだ。パラパラと欠片になって、別の(そら)へ転生していった。間もなく白猫が連れてきた人間が踏み込んできた。交番の警官だ。警官は笛を吹いた。少しの間の後、別の警官が駆け付けて来て、本署まで事件を知らせに走り出ていった。現場には白猫が連れてきた警官が残って、気を失って倒れた男を縛って、刺された年寄りの介抱をしていた。
 オレは三毛猫に礼を言うと体を返し、三毛猫は白猫と去っていった。電気を運ぶ綱の上に待たせていた鷹に戻ると、向かいの電気綱の上に、鷲の姿を借りた霊員が留まっていた。応援の上役だった。
「セイジロウ。また応援を待たなかったか」
「申し訳ありません」
「帝から頂いた警保掛(けいほがかり)のお役だ。それを心せよ。それに、お前に転生されては員数がますます足りなくなる。……今回は、よくやった」
 すぐに応援の上役は飛び去った。人間たちの方はというと、本署から警羅車と救急車が来て、何とか年寄りは助かり、意識の戻った男が無暗に警官に抵抗していた。男は自分が何をしたか、何をしているかも分かっていない。ヒロポンが危ない薬だというのは人間たちも気付いているから、そのうちにはなんとかするだろう。
 オレの役目は終わった。多分数年で、あの年寄りも男も死ぬから、その時に魂を回収するのもオレの仕事だろう。


 また下界の時が流れ、ある秋の夜、オレは町の上を蝙蝠の体を借りて巡視していた。とある子どもの祈りが途切れたからだ。祈りをやめられてしまうと、音の源が分からず場所を判ずることができない。蝙蝠はかすかな音の波も感じられるし、群れで行動するのが好きだから、よく体を借りて、群れにも協力してもらっていた。最近のオレは残酷な気のある人間を警戒していた。暴力を好む人間は、匪賊霊に狙われやすい。激高している間は精神が魂を守る役目を果たさなくなる。家の中で起きる虐げは、誰にも知られない。追い詰められると、諦めるのが早い子どもは祈りをやめてしまう。
 オレは夜に横行する虐げが許せなかった。脅された子どもの祈りは頭の中でキーンという鋭い頭痛になる。見つけたらその場は助けられるが、祈りは常に各所で出ているから、間に合わずに子どもが死んだり、虐げに慣れて祈ることをしなくなると、オレは悲しみを感じた。力を持て余した霊員が人間を相手に残虐な遊戯を為すのは分からないでもないが、弱い人間の中にも、さらに弱い命への虐げを趣とする者がいる。残念だ。 
 暗い電気の灯が闇の町を照らしていた。
 ついに、オレが探していた町の子どもの祈りの音の源は分からなかった。
 田舎から野鴨が飛んできて急を知らせてくれた。次は田舎だ。暗くとも電気の灯がある町はまだいい。田舎の夜は、月や星がない夜は真の闇に包まれる。
 町生まれ町育ちの人間は、羨望のような想いを田舎に感じていることがあるが、田舎の人間が町の人間に比べて親切とか善良という事はない。恐らく、客人として訪れるだけだからそう思うのだろう。野鴨が数匹で飛んで来て教えてくれた件の内容は次の通りだった。
「アル中の親父が子どもを殴りつけている」
よくあることだ。蝙蝠に別れと礼を言うと、鴨に頼んでそのまま一刻ほど飛び続け、山中の集落の外れに来た。崖の上の家は傾き、端が朽ちていた。中に居たこの家の母親は無表情でただ座っていた。人間は絶対的に無力な立場に置かれるとこういう風を呈することがある。父親が、癇癪を起して幼い娘と息子を殴り続けていた。拳が痛くなったらしく、腰の革帯を抜いて殴り続けていた。少年はただ一文を唱え続けていた。
「僕は死んでもいいです。妹をお助け下さい」
 オレは霊力を使って革帯を男から取り上げ、そのまま男を家から引きずり出して、崖から放り投げた。男は頭を崖下の川の岩にぶつけて死んだ。少年は妹を固く抱き締めて呟いた。
「ありがとうございました、ありがとうございました、ありがとうございました……」
だが母親は崖下に向かって必死に叫んでいる。こんな男でも死なれては困ると女が思っているのが心外だった……まあ、確かに「家」には稼ぎ手は必要だ。オレは男を癒し、家族のもとに返すことにした。野鴨の姿をしたオレから出た白い柔らかい光が、男の骸にぶつかった。バチンという音とともに橙色の光に変わり、骸の全身を包んだ。もちろん人間には見えない光だ。男に魂が戻り、崖を下ってきた妻を見つめた。悪いが男の心はすっかり造り変えた。この男の寿命が尽きるまで、妻と子を支えられる心だ。
「おう、心配かけてすまないな。飲みすぎて足を踏み外した。子どもたちはもう寝たか?」
「あんた……」
 女は、何かが起きて亭主が別人となって息を吹き返したことを悟って、それ以上何も言わなかった。夫婦は助け合ってなんとか崖を登り、崖の上の家の中に戻った。姿を見て隅で震える子どもたちに男は声をかけた。
「傷だらけ、血だらけじゃないか。どうした」
「……」
「誰にやられた、村のガキか? 獣か?」
「……」
「……そうか……酒癖の悪い俺の事だ、きっと俺がやっちまった痕なんだな? ……」
「……」
「すまん……何も覚えちゃいない……」
「……」
「仕事がきつくてな……本家にまた金を取られた。それでいて仕事の世話はいつも後回しだ。そんなもんで、やりきれなかった……」
「……」
「明日、町へ出て仕事を見つけようと思う。どんな仕事でも、毎日小突かれて花札で金を巻き上げられる今の仕事よりはましだろ」
 子どもたちにも、何か特別な事が起きて父親が違う人間になったと分かった。この晩、家族四人は初めて穏やかな表情で床に就いた。オレはというと、大量の霊力を一気に使い切ったせいで、しばらく冥界府で休まざるを得なかった。男に良い仕事が見つかれば良いが。

三、服務規定違反

三、服務規定違反

 再び時が流れ、下界の島国は冬になっていた。しばらく冥界府で休んで霊力をすっかり回復したオレに仕事は尽きなかった。今年の冬は人間にはきつく、よく死んだ。年寄りが寿命で死ぬのは仕方ないが、切羽詰まった人間が大きな悪事を企て、他の人間を殺してしまうことが増えていた。
 オレの眼下の町で、五人の賊が、町中のカネを掌る店の中で邪悪な業に勤しんでいた。この店は人造石で堅く建てられた造りで、陣を組んで取り囲む警官たちも全く手を出せないでいた。人間は、人を殺してもせいぜい幾人かだが、この五人組の一味は既に十ばかりの命を奪っていた。明らかに匪賊霊に操られた人間たちだった、
 オレは急いで、漂っている魂をすべてかき集め、冥界府に届けた。警保掛(けいほがかり)の霊員が誰もいない。周りに聞くと、全員の警保掛(けいほがかり)が出払っていた。
 困りきったオレは、下界の夏に観察した蜜蜂の情景を思い出した――蜜蜂は己の命と引き換えに敵を滅していた――オレも転生の罰を受けて次の(そら)でもまた匪賊霊を消そう。転生すれば、会えないにしても両親の後を追える気がした。残念だが、これがこの(そら)でのオレの最後の仕事だ。
 その時、オレの思いを察した帝が仰った。
(……セイジロウよ……)
 オレは直ちに屈み、顔を伏せて正しい姿勢をとった。初めて帝のお声を聴く。
「はい。ここにおります」
(……掟はたとえ警保掛(けいほがかり)であっても守らねばならぬ絶対のものぞ……)
「帝よ、お許しください。すべてが終わった暁には自害をもってけじめといたします」
(……お前の働きは立派である。この(そら)で、その誠の業を続けることはできぬのか……)
「身に余るお言葉、痛み入ります」
(……お前の気持ちはどうしても変えられんのか……私はお前を惜しむのだが……)
「私は人間を蝕む匪賊霊を許せないのです」
(……私の心とお前の心は違うのだな……)
「誠に感謝申し上げます。帝に栄えあれ!」
 オレは再び下界へ向かった。
 鷹の姿で店の上空を一周舞うと、匪賊霊がすぐにオレに気付き、賊の一人を操って長い鉄の筒で鉛玉を放ってきた。かわいそうに、この鷹は死んでしまった。この仇も取らねば。
 オレは鳩に頼んで体を貸してもらい、いったん場を退かざるを得なかった。この鳩が言うには、鳩たちの噂で、ここから二十里ほど先の田舎で若い巡査が自害しそうな様子だという。人間の警官や兵が仕事で追い詰められて自害するのは珍しくない。誰か人間が死ぬ覚悟なら、その前に体を借りようと考えた。
 鳩の案内で当の田舎に着くと、確かに一人の若い巡査が交番の便所で、腰から鉄の砲を抜き、先を口の中に入れていた。オレは鳩に体を帰し、冥界府に伝わる太古からの禁忌を破った。人間の体と魂を乗っ取った。
 匪賊霊が暴れる町へ戻るため、交番に備えられた新しい人造馬に乗った。人造馬は警羅車や救急車と同じく、地の底から沸く油で走る。前後の輪は程よい柔らかさだ。これのおかげで早く町に戻ることができた。
 警察の人造馬に乗った巡査の姿だから、警官たちは慌てて包囲陣を解いてオレを通した。さらに十ばかりの命が奪われていた。魂の回収は後だ。匪賊霊を消さねばならない。警官の陣の外で町人たちが口々に野次っていた。
「ポリ公! やっちまえ! 何してんだ!」「お巡りもやる時はやるって見せてくれよ」
「腰に下げてんのは飾りかよ! 臆病者!」
 オレが人造馬を店の前で捨てると、中から鷹を殺した賊が出てきた。匪賊霊が透けて見える。まずこいつからだ。
「帝の名において貴様を連行する」
(……)
 返答は無い。匪賊霊が操る男が無言で砲を撃ってきた。オレは素早く弾を避け、賊の心の臓を撃ち抜いた。匪賊霊は自害して消えた。
 警官の陣は見知らぬ巡査――オレ――に騒めいていた。上役の男が付き人に言った。
「あいつは何をしている! 巡査部長! あの巡査は誰だ? 見た事の無い奴だ。本庁は幕僚団を待てと言ってきてる。おいお前!」
「警部補、人が大勢殺されとるとですよ、本庁のお偉いさんを待ってる場合じゃなか!」
「巡査部長、俺だって飛び込みたい。それを我慢して本庁を待っているんだ。幕僚団はまだ到着しないのか? イラついてたまらん」
「警部補、あんたは若いから分からんかも知れんけど、警官の本分は保身じゃなかとよ」
「むう……交通課員は群衆整理を続けろ! それ以外の外勤は全員発砲を許可! 巡査部長は俺に続け! これ以上待てるか!」
 勇ましいのは頼もしい。だが、この国の警官はまだ、大勢で砲を使う賊に処したことがなかった。町人たちは、もし警官が間違って賊ではない人間を殺せば、途端に手の平を返して野次るだろう。それも気の毒だ。
 オレは急いで中に入って残りの賊を探した。霊力を使って、正確に、ひとりずつ。三人の賊の心の臓を撃ち抜いた。匪賊霊は人間の体を捨てた。自害しない匪賊霊は短剣で切り裂いた。砂のように砕け、転生していった。
 だが、もう一人の霊員を感じる。店の奥だ。警部補と呼ばれた警官が声をかけてきた。
「凄い腕じゃないか。元海軍か? 陸軍か?」
 よく見ると、警部補は戦を生き延びた、あの空舟の兵だった。
「警部補、奥に一人逃げた。オレが追う。あんたは、場を仕切って警官をまとめてくれ」
「君は本庁の特務士官なんだな、分かった」
「……そうだ。傷ついた者を頼む」
 勘違いだが別にいい。店の奥には誰もいなかった。人間はおろか、動物も虫もいない。気を静めて精神を集中させると、部屋ほどの大きさの、鍛錬された鋼の蔵の中から、かすかに若い女の声がするのに気付いた。
「誰か助けて!」
 霊員の気配が大きくなった。最後の匪賊霊は蔵の中に居るようだ。巡査の手を使うと扉が開き、オレは中に入った。
「お巡りさん!」
「このまま進んでください。警官がいるから」
 若い女は走っていった。蔵の中には他に人間の姿がない。しかし、強い霊員の気配が目の前にある。これは一体どうしたことか。
(間抜けな若造め。私はここだぞ)
「どこだ? 出てこい!」
(お前は、錠で閉じられたはずの鋼の扉が軽く開いたのを不思議に思わなかったか?)
オレは不意を突かれた。匪賊霊は鋼の蔵そのものに憑いていた。
(経験を積むと、命のない物でも僅かな波を出しているのが分かる。その波に合わせれば、一体となれる。若造、知らなかったか?)
全身から霊力を発したが、全て封じられた。オレは匪賊霊の内に閉じ込められたのだ。
(大笑いだ。愉快でたまらん。だが死ね!)
 周囲の鋼の壁のいたるところから赤黒い光の針が飛び出し、オレを突き通そうとした。オレは素早く帝の短剣を縦横に振り、匪賊霊の触手を切り落とした。剣から青白い光が鋼の壁に降り注いだ。鋼の蔵に憑りつこうが、この剣には無駄だった。
「ぐぎゃああぁぁぁ……」
 叫びを残し、匪賊霊は消えた。オレは鋼の蔵から出て、巡査の体を静かに床に横たえた。近くの雀を呼んで体を借りた。眼前の巡査は絶命していた。警部補が走ってきた。
「君! よくやった! 金庫の女子行員はこちらで保護した。最後の賊は客に紛れて逃げようとしたが確保した。これで取り調べもできる。わざと一人殺さなかったとは、さすが」
 警部補は巡査が息絶えているのに気付いた。オレが巡査の体を借りている間、避けきれなかった鉛玉の一つが肝の蔵を貫いていた。
「肝臓をやられたか。君の死に様は私が責任を持って君の上官に伝えておく。二階級特進だけではとても足りん。さすがは本庁員だ」
 オレは雀の姿で店中を飛び回り、死んだ人間全ての魂を集めて束ねた。間違いがないよう確かめて、すぐに冥界府に向かった。
 冥界府には警保掛(けいほがかり)の上役が待っていた。
「セイジロウ、また応援を待たなかったか」
「申し訳ありません」
「今回は、ついに禁忌を破る事と相成った」
「はい。この後のことは心得ています」
「そうだろうな。転生の前に、補縄と短剣を帝にお返ししなくてはならない。いつかこうなるとは思っていたが、さびしい限りだ」
 上役の警保掛(けいほがかり)と一緒に、帝に面会を願い出た。侍従掛の後に従って、帝の間に進む。
(……セイジロウ、このたびの働き、誠に見事であった。朕はお前を誇りに思う……)
「恐れ入ります。直ちに自害致します」
 他に発すべき言葉が思い浮かばなかった。
 すると、帝はオレが全く予期しなかった言葉を仰られた。
(……お前が朕に仕えるように、朕も上に仕える身……朕は太古よりの掟に従い、お前の転生を見届けた後に永遠に無となる……)
「! そのようなことがあるのですか!?」
(……下界の人間と動物たちを我らが見守るように、我ら冥界府の霊員も上から見守られている存在ぞ……)
「め、冥界にも上界が、見張る者があると?」
(……そうである……そこまでは思いが及ばなかったのだな……人間が精神のどこかで我ら霊員と似たものを持つように、我々の神々もまた、我々と同じような精神を持つ……)
「し、しかし転生ではなく永遠の無とは酷い。 私の罪の重さが帝をそのような仕打ちに遭わせるのであれば、いくら悔いても悔やみ足りませぬ! 「神々」に慈悲はないのですか」
(……無は罰ではない……我々の神々が与える褒美である……永年の司り事に、朕は大変に疲れ、解放を喜びに思う……)
「そ、そんなことがあって良いわけはっ」
(……控えよ! 朕は円熟に達した上級霊である。セイジロウはまだ若いではないか……)
「お許しを。では、最後にお尋ねします」
(……申せ……朕の知ることであれば……)
「この(そら)に下界と冥界があるように、他の無数の(そら)も同じ造りなのでしょうか? 神々は、全ての(そら)を掌っておられるのでしょうか?」
(……人間が我らをよく知らぬように、我らも(そら)と神々についてよく知らぬ……ただ全ては遥かなる昔から在り、身を任せるのみ……)
「お言葉、感謝します」
 オレは帝に補縄と短剣をお返しすると、全てを脱ぎ去った。すると、辺りは輝き、光で満ちた。この(そら)の霊員が集まり、自害して転生するオレを見送ってくれたのだった。

 霊員は、冥界府では死ぬことがない……自ら望まぬ限り。転生していくオレの眼前が白くなり、全ての記憶が消えていくのが分かった。
 薄れる精神で最後に願った――転生した新たな(そら)でも人間を助けたい――と。

(了)

冥界府警保掛

冥界府警保掛

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-25

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  1. 一、冥界基礎講習
  2. 二、人身保護実習
  3. 三、服務規定違反