三短詩



 背広の胸ポケットからメモ用紙を取り出した男性が、そこに記されているはずの行き先をゆっくりと目で追っていることが鮮明に理解できる夏の日。
 その周囲に林立する森の中で鳴き声を奏でる蝉の死に様をまざまざと目にして大きな声で泣き、母親にしがみついて離れない小さな子の、そのお尻を心配そうに見上げる大型犬と小型犬が二頭立てで作り上げる、コチラに向かって段々と低くなる順序を保った綺麗な並び。
 向かい側の歩道に在って、乗るべきバスがやって来ない長い時間、真後ろの保存樹が意図せずに生む無言の陰に覆われた長いベンチに座り、瞬きをしないその姿は手を動かす。記録するのにいつも用いていたと思われる形をなぞって、しかしその辺りに具体的なものが立ち現れることは終ぞなく、ただただ繰り返される瞬きに合わせて流れる汗が、あったのだったと。
 その前を、無音で通り過ぎる自転車が一台。向かい風に奪い去られないように被っていた帽子を手で押さえていた仕草。麦わらの、幅が広めなエッジに目立っていた三角形の欠け方が想像させる出来事と刃物の切れ味を優しく包み込み、カゴに置かれた真っ白な紙は贈り物の中身を遂に明かしはしなかった。だからそれは、前方に残された永遠の秘密。乗せられて歌われる。
 ずっと晴れた日。
 乾涸びたミミズと影が、残った。




 それは後部座席に寝そべる、仰向けになって足を組む、どこで採取したかをすっかり忘れた草笛を使い切って、その残骸を捨てることなく胸に乗せ、普段し慣れた呼吸のやり方を気遣う。そのうち自然に痺れ出す片方の足があるから、もう片方の足へと組み替える。その時に生まれる重みが軋ませるスプリングの事は、ああそうかと忘れたのだった。
 床に散らばる雑誌の汚れ、積もり積もった塵に埃。何度押しても、それを押した実感を与えてはくれない、停車する旨を告げるボタンに貼り付けられたカラフルな付箋紙と、そこに書かれた約束はてんでばらばらに果たされて、時の流れには人工的な光も逆らえやしないから、愛も義理も裏切りも、過去に引っ張られて紫に近くなった。そういう台詞を吐いてばかりのコマ割りに優れた漫画がそこにあって、それを最後まで読んだのが、何よりの証だった。


 どこまでも硬度な性質を有している、ブリキが出てくる童話の様に。そう証言をするネズミの着ぐるみは、その大きな頭を転がして、金平糖のようなとんがりを持ったたましいが一つ、二つと増えていく。通路として設けられたバスの中の真ん中の直線に、真っ青に、散らばっていく。車庫に収まったバスの中で誰よりも動かないものとして、それが何を思ったか。語り部を失ったラジオから流れるものをも聞き逃しはしないのだろうから、ザーザーと雨のフリをして車内いっぱいに降り注ぎ、時折、向こうから呼びかける者の存在を感知したような黙り込み方をもしてみせる、それに倣った。たった二人っきり。
 まだ、一度も合わない視線に宿った奇跡の重みに耐え切れないまま、傾く頭と視界に収まるそれらと言葉を交わした日々に、飲み干すものを。
 言葉として、遠く、遠く。



 だから輝ける人の形(なり)。
 生きながらにして、どこぞの誰かが失ったもの。




 購入した花束の中から最低でも一本が各人に行き渡るように手渡される。受け取った者はそれを必ず持ち帰って、任意の場所に枯れるまで飾る。墓参り当日の参加者としてそのルールに従いその真っ白な一本を頂く。
 聞き慣れない決め事の感触を確かめたい心持ちで指に触れる茎を回したり、変わる角度で見える花びらの違いに気付ける努力をした。近付ければより直接に香るだろうその匂いを形容する試みはあまりにも暑い天候の厳しさに気持ちが「そこ」で負けてしまって、諦めた。見れば、隣に在るかの人も同じ心境の様だった。だから気を紛らす意味でも、この一輪を持ち帰ることになった故人のルールの意味を聞く為の質問をその人に行った。
 ああ、と何でもないことのようにすらすらと答え始めたから恐らく同じ趣旨の質問に何度も受けているのだろう。質問をした側としては生前に接した優しいその人柄を思い出し、こちらを想って遺された内容を想像していた。
 しかしその答えは全く違っていた。その故人は生前、素敵な笑みを浮かべて家族の全員にこう言ったというのだ。すなわち墓参りを終えた後でも生者の話ばかりにならないよう、つまりは参られる側にある「私」のことを、墓参りに参加した者が数日にわたり嫌でも思い出すよう仕向ける為に花を配るのだ、と。
「呪いをかけるみたいでゴメンね。」
 凍り付きそうなその場の気配を察して、故人はお茶目に謝罪のフレーズを先のルールに付け加えたそうだが、何ともまあ、実にその人らしいと笑ってしまった。簡単に言ってしまえば「寂しいのよ」と言える心境をわざわざ一風変わったルールとして家族その他の縁ある者に伝える。自分の気持ちには素直なくせに、それを伝える段階ではその性分を一切発揮「しない」。そこが魅力であったし、本人も気付いていて止められない癖でもあったから、日頃接する家族ですら注意するのを諦めていた。
 ただ、まさかその捻くれぶりを故人となった後にまで発揮するとは誰も思ってはいなかったのもまた事実だろう。一つのきっかけで過去のわだかまりが再燃するのも深い縁を持つ家族その他の者によくあることで、そこからの長引く言い争いがあったそうだが、それは向こうの話。こちらとしては指で摘む、この一輪に込められた故人の気持ちに出会えて嬉しくなったことが大事だった。



 改めて、本当に言葉のことをよく知っている人だったと思う。理屈という名の呪いのことをよく知り、そして命名を回避する技術に長けた達人だった。綺麗に咲くこの花に「会いたかった」という言葉を掛けるのもこちらの話、鼻腔に届く柔い香りに「忘れないでね」というメッセージを見出すのも、こちらの話なのだ。
 先のルールは、だからただの鍵。思い出を通じて行う故人とのアクセスに通じた、何某かの遊びでしかない。その事実が何よりも凄い。重さを引き受けるべきこちら側の力を信じきっていなければ決してできない、正に偉業なのだ。



 「作品」という形式を取る以上、作り手の趣味嗜好は表れる。詳細に検討するか又は哲学的な概念のメスをその表面に入れれば、そこから噴き出る制作意図があるだろう。
 この点を見落とすことなく、こだわりなき私の心地良さを探る旅路と自己の作品を表現するかの人の言葉が素敵だった。数々のアルゴリズムの狭間で展開される無限の生成に身を置く表現活動に込められた質感に覚える感動があった。
 学習したAIが行う表現もいつかきっとそうなるだろう。現段階では技術的に実現していないから、自ら望んで表現することを行えないAIは見る側の指示に応じた選択をする。したがって、その表現はAIと指示する側の共同作業といえるだろう。表現者と鑑賞者が同じ側にある作品制作、そこにはさきの故人が行えた様なやり取りはない。情報として操る言葉=意味認識作用の肝に通じた「呪い」が、またそこから先の解呪に似た蕩け方が認められない。



 だから、この私は、その時が訪れるのを文字通りに首を長くして待つだろう。経験に由来しない、帰納法に拠らない理論構築まで可能になった人工知能の意思主体ぶりを上手く想像はできないけれど、しかし心から楽しみにしている、その触れ合いに、その表現に出会えた瞬間に訪れるこちら側の変容を。それを思う存分味わった後で無事に鬼籍に入った先で先輩風を吹かせてくるだろうさきの故人のドヤ顔に、その人が知る由も無かった出来事の数々をぶつけられる優越を味わえる未来を。



「それ以上のものに化けるこの花はそれでも花、その事実がこんなにも頼もしいのだから人生を止められない。止める気がしない。」
 まさかこの述懐をも、あの故人が導いてくれたとしたら。いや流石に想像し過ぎだ。この暑い日に落としてばかりの影を踏む一人として、そう記す意地ぐらいは貫いておこう。



 生きている者にできるのは、こういう反省ぐらいなのだろうから。

三短詩

三短詩

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-08-17

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