篠田桃紅展
一
生まれながらにして既に始まっている言語運動に巻き込まれる私たちは母音や子音といった音節による区分を刺激として経験し、または目で触れ肌で触れられる周囲の大人たちのやり取りから伝達されているものの存在を認識する。そこに抱いた興味に従い、見よう見まねで実践すれば表現した意味内容の間違いを訂正されてその当否の判断を学び、改めて実践してその正しさを身に付けていく。これを段々と熟していき、私たちは目には見えない言語運動のルールを身に付けていく。かかる学習過程でやり取りされる脳内の神経伝達物質によって覚える感覚を、私たちは喜怒哀楽の感情経験として整理する。曖昧でも一応の区分を達成できる言語の意味内容は一方で他人の感情経験の区分との外面上の擦り合わせを可能にするから、人一般が抱く感情が現に存在するという確信を私たちは強められる。このように、言語運動に触発される行動ないし表現とその認識及び理解のセットが両輪として駆動することにより、私たちは「人」らしさを増していく。そう考えてみる。
このとき、私たちは言語を用いてする内面の表現に対して不満を覚えることがないと思える。なぜなら私たちの感情といった内面活動の有り様の全てを言語が規定しているといえるから、したがって使用する言語活動で言い足りない感情なんて私たちの間には存在しない。
しかしながら人の間で行われる言語活動は単純なままでいられない。私たちは言語を用いてする思考の対象と向き合った結果を体系化して知識と呼べるものにし、紙媒体に載せるなどして伝達可能にする。それを受け取った意欲ある個々人の元で知識は更に探究されて深まっていき、情報として伝達されてまた広がるを繰り返す。あるいは私たちは日常場面における使用方法からかけ離れた俳句や短歌、詩や小説といった文学として括れる特殊な表現活動として言語を用いる。そこで生まれる語感の響きやリズム、比喩などの婉曲に刺激された新たな経験によって喜怒哀楽の大枠からはみ出た感覚を味わう。いつしかそれが私たちの間で一つのエンターテイメントとなり、各地域の文化的又は社会的特色と混ぜ合わさって人々の生活の一部となり、長く愛され今も楽しまれるに至る。
以上のように複雑化する言語運動によって物事に対する多角的な視点も生まれ、それに応じた多様な解釈が許されて、物事の当否を判断する基準の確立からして丁寧な議論を必要とする事態は生まれる。社会的又は政治的状況の発展に応じて混迷する場合にも少なくない、その言語運動の激流にすっかり飲まれている私たちが言葉を操れているとは決していえない。その広がりや深まりに追い付けなくて黙り込む事だってきっとある。または思うことと裏腹な表現を行なってしまい、それを後悔する。しかしながらその時にこそ私たちは気付くのだろう、自身の内面とその手段となる表現の意味内容との間に生まれている決して小さくはないその隙間に。
言語という区分が内なる「私」たちに残した深い痕跡はそれを追って走り回れる半永久的な自由と時間といえる。あるいは行間と呼べるこの自律性を若しくは心の機微といえる内面的な不適合を中心にして見渡す言語領域を燦々と輝かせる未知の可能性がある。
それを見つけ出し、時代ないし社会に対する反抗精神をもって現実のものにしようとする者が現れるのだろうし、表現者として抑えきれない好奇心に追い立てられてそこに住まう覚悟を持つ者が現れるのだろう。言語運動から生まれるエネルギーに突き動かされた私たちが、しかし明確な意思と希望を持ち、危ういバランスを保つ努力と研鑽の元で成し遂げるもの。「何か」という塊を言葉で解体されることがないように伝えようとする、ナンセンスな領域に片足を突っ込んだリスクを冒す非言語的表現が行われる確かな動機がここに認められる。
二
画面上に一本の線を引く。それだけで鑑賞する側の意味認識作用は火花を散らして動き出す。したがってかかる鑑賞者の理性的なアプローチから如何にして逃れるか、作品を構成する最低限の要素に対する論理的な理解だけは許容して、鑑賞者を突き放す推進力の強さが抽象表現の生命線であると筆者は考える。
幼い頃から書に親しみ、前衛書を手掛ける作家たちとも交流を持った篠田桃紅の抽象表現を支えるのは書体に拘りを見せないその線描である。とめ、はね、はらいの美しさというより、そう描いた意思の始まりと終わりに重きを置く。それらの意思の関わり方として把握できる概観と、完成した「形」への納得という筆の納め方を表現者がしている。それを活かす作品全体の仕上げ方が実に巧みで金箔や銀箔を貼り付けた背景の、ライティングに反射する綺麗さ以上の色褪せ方や朽ちる様が観る側に不可視の文脈の存在を想起させる。
以前記したクリスチャン・マークレーの作品表現と同じく、把握できないぐらいに巨大で複雑な意味内容のルールが篠田桃紅の作品自体を通じて示唆される。見えない、知れない、参加できない。「ない、ない」の言葉に満ちているその非言語的運動に対して観る側が途方に暮れることがあっても仕方ない。しかしながら、ここでその繋がりを保つ点で重要な役割を果たすと考えるのが篠田桃紅本人が直観的に名付けた作品のタイトルである。
一般論として、とまでは言えないが大体にして抽象表現の作品にはタイトルがない(あるとしても「無題」といったものに止まる)というのが筆者の実感である。その理由はどんなタイトルでも付けてしまえば何らかの言語的理解の根拠となりかねない。かかる理解が抽象表現の作品に対する鑑賞態度を理屈っぽいものとする危険がある。だからそのリスクを回避するためにタイトルを付けないか又は付けても無内容なものとするのでないか、そう推測する。
かかる推測に反して篠田桃紅の作品には英語表記の題名が付いており、また邦題にも翻訳されていた。例えば智美術館で開催中の『篠田桃紅 夢の浮橋』で夢中になって鑑賞したある作品のタイトルは「Contemplation」であり、その邦題は「黙想」であった。
かかる作品は画面の真ん中を細い直線が重なり走る。それにより緩やかに分割された画面の中央から左右それぞれに生まれる下方のスペースを図形として描いたと見てもいい程の太さのある短い線が真四角に又は菱形へと変形する途中の様ない歪な動きを思わせて存在する。線と図形の接近が何かしらの対話として想像できる。一方でその背景は古紙の如き色味を保ち、過ぎた年月の長さを感じさせる。画面外の表現としては額縁にピッタリと収めないことで生じた間隙をデザイン性に優れた意匠が埋める。メリハリを効かせた黒と白の表現として鑑賞者の目を引く前衛書一般からかけ離れた印象を与えるこの工夫が観る側の肩肘を張らせない。だからといって作品全体の印象がモダンに陥ることがなく、「黙想」は書による形象表現としての格調の高さを維持し続ける。目を見張る程の構成力、これは篠田桃紅の表現作品一般に認められるポイントであると強調したい。かかるポイントだけで、十分に抽象表現の肝となる「何か」を表したという信頼を鑑賞者に抱かせることができている。だからこそ篠田桃紅は抽象表現全盛期のアメリカで高く評価されたのだと筆者は思う。ここに更に加わるのが作品タイトルという要素なのである。
筆者が実際に展示会場でその作品と「黙想」のタイトルを行き来して味わえた面白さは翻訳された文学作品を読んだときに覚えるものに近い。そう感じられたところから連想してみる翻訳作業は、翻訳不可能という言語運動の内在的限界を十全に理解して行われる。二つ以上の異なる言語間を跨いだ状態でテキストと向き合う翻訳家が最低限の自意識を維持しながらも作者への粘り強い接近を図るその営為において引き起こすメタモルフォーゼは、テキストに表れる作者の思想信条又は文学表現のビーグルに乗って展開される独自の世界観等への理解と尊重を胸に掲げる翻訳者の熱意と創意工夫によって、母語の言語運動に少しばかりの負荷をかける。喩えれば、それは私たちが使う「日本語」という慣れ親しんだはずの窓枠から見える景色に混ざった異国の気配や匂いの成分として感知されるものであり、またはすっかり飽きが来ていたはずの概念や思考の表面に冷たい水をたっぷりと流して一所懸命に汗を流して磨き上げる。そういう転換を促す梃子として働きかけられる負荷である。それが集積した結果としての翻訳の仕事には、だから言語運動に豊かなガタつきを生んでいる。
かかる翻訳の喩えをそのまま持ち込む単純を自分自身に許せば、篠田桃紅の自身の作品に対して行った命名はこちらの言語に従って果たされた訳文の仕事であり、その中身がくり抜かれた状態で果たされた。だからこそ画面に表れる書象の核心を追える。そういう一風変わった翻訳行為と言えないか。
その字面からイメージできる動きのない動作を手がかりにして、私たちは迷いのない主観的な状態に至れる。それは「私」の内に表れたものと向き合う貴重な時間であり、表象に妄想と様々なものが内心に生まれる。「黙想」が許すのはそれだけの事である。それが作品と内心を行ったり来たりする往復運動を生んでいく。中身があるようで全くないとも言えるその字面の類稀なる耐久力と包容力がここで発揮されている。「何か」を表した作品を成り立たせる巨大な非言語的運動と、こちらの言語運動を架橋する篠田桃紅という表現者の命名行為が思索という名の帰還を拒んだかの人の冒険譚となり、その一端に触れられる私たちを母語とは異なる乗り物の中に置く。知らない風、違う景色、初めての色、そして忘れられない「ことば」と遭遇する道程へと通じる、この世に二つとない契機。それら全てを味わって私という存在はまた一つ、大きく変わっていく。そういう変容を齎す奇跡を作品への命名行為が担っている。「黙想」を鑑賞した一人として今もそう実感するのだ。
三
日常で使用する言語によって十分に説明することが難しい抽象表現を行う者が住まう「世界」と、二つ以上の異なる言語間に身を置いて作者が書き上げたテキストと向き合い続ける翻訳家が、無私と化しても成し遂げようとする架橋されるべき「世界」との共通点として考えるもの、それは一方の言語運動の内部で妥当するルールからの逸脱であり、また一時的にかつ仮想的に実現しようとする第三の道の創出でもあり、そして成功するその仕事の結果には正誤の判断のみで回収できない余分なものがたっぷりと含まれているということ。かかる余分なものについては、文化学の文脈に乗せて思う存分語り得る直観を筆者は抱く。しかし、ここでは喋りたがりな性分の頭を一所懸命に鷲掴みにして自制する。宝物のように思えるその直観の内側に、他者との理解を前提にして綿密に編む論理の筋を巧く通すには分相応の知識経験、それに基づく実践がきっと欠かせない。その時を夢見て日々、学んでいきたいと思う。
一方で材料に対する知識と究める技術を尽くして「何か」を表す抽象表現に対して、壊れても構わないと思って投げ付けた言語に賭ける思いと考え。そこで引き合いに出した篠田桃紅の、あまりにも高いレベルで完成していた墨象の見事さと掻き立てられた意欲については変化というキーワードの元でまた挑戦してみたいと決意する。
言い足りない、物足りないというこの飢えこそがかの表現者が決して手放しはしなかったものだと、筆者はもう学んだのだから。
篠田桃紅展