気付き
一
鉱石を粒子状にして膠で固着し、それらを指で混ぜて岩絵具として使える状態にする。その仕上げにおける粒子の目の粗さに応じて色の深みの違いを表現できる。
例えば山種美術館で開催中の『奥田元宗と日展の巨匠』展で鑑賞できる奥田元宗の「玄溟」において用いられた赤色は無数の瓶に容れられ、底辺の長い三角形を構成してケースの中に収まっていた。貼られたラベルに記載された原料名には珊瑚があったりと、その種類の多様さに驚く。と同時に納得する。だからこそ先に目で触れられた画面上に生い茂る樹々と世界の質感、縦横無尽に育まれた赤き画面から遠ざかる距離に応じて立ち現れる生温い命が巡り巡る、冷めた天海の景色だったのだ、と。
日本画と言えば花鳥風月、という認識は日本画に対する知識もそれを鑑賞する機会も足りないと自覚する素人な筆者でも抱いていたから、日本画を特徴づける一つの要素なのだろうと思う。そう言えば、と数少ないながら奥村土牛や上村松篁などの絵画表現に触れられた有難い経験を思い起こして実感するのはかかる花鳥風月を描くにあたって画家が精魂尽くして行ったと錯覚せざるを得ない透徹した観察と、その結果として果たされる主観と客観の境が失われた世界の合一及びその快感であった。だから筆者はそこに付け加えたいと思った、今も忘れない奥村土牛の「醍醐」や上村松篁の「白孔雀」や「芥子」を鑑賞して覚えた、あの感情経験の澱みのなさ。恐らくは先の合一の奇跡によって齎される理性的防波堤の喪失をそのままに維持し、自身の精神面の表現へと傾ければ高山辰雄の「中秋」に認められる内的イメージの越境ぶりとして表されたり、またはパレイドリアを疑うべき「坐す人」の描きを前にして、内なる真実の広がりと侵食に不思議と覚えられない生理的な「嫌さ」の行方を追って黙考する私的な刻を充分に過ごせたりするのだろう。他方で如何なる主張をも捨て去り、どこまでも透明なまま、遮るもののない向こう側に歩を進めて外界に身を寄せれば東山魁夷の「緑潤う」の表現にある様なガラスの如き脆さと人為的な青き美しさの見事な均衡を一枚の絵として成立させることが出来るのだろう。
我欲に溺れず、ではなく寧ろ「それ」を描きたい欲求に文字通り身を捧げることによって結果的に己が消える。そういうレベルに至るまで見つめ続ける、知り続ける。その表現としてよく選ばれるのが日本画に見られる花鳥風月。筆者はそう理解している。
勿論、上記した二点が日本画というカテゴリーを埋められる全てだとは思わない。絵具を用いてイメージを描くという点で西洋画と変わりはないと安易に判断する筆者が日本画について無知であるが故に、そのカテゴリー内で訳も分からずに溺れたりしないようしがみつく為に用いる便宜的な「特徴」なのだろうと自覚する。
なので上記した花鳥風月に向ける画家の観察に関連して、奥田元宗の師である児玉希望が描いた「モンブラン」を鑑賞した時に感じた妙な膨らみ、ふわんふわんという擬音を恥ずかしげもなく用いてでも把握したくなったある種の主張らしさは何なのかという疑問に向けて、肯定的な言葉を紡ぐことに筆者が抱く抵抗はない。
二
山種美術館の展示会場の一角で児玉希望の「モンブラン」のすぐ隣には、同じく児玉希望が描いた水墨画である「漁村」が展示されていた。卓抜な構成で画面を形作り、墨汁を浸した筆が白紙の上に走らせた痕跡の激しさと密かな離れ方、全体的に確保された奥行きある別世界の外観を随所で厚くし又は幽かに消し去る黒の濃淡ぶりをその一枚から楽しめる。
この感情が冷めない内にと先の一枚、ヨーロッパに滞在し西洋画の伝統に触れ続けた画家が墨で素早く描いた外国の山景色へと目を移すと骨格の上に乗った厚い肉体がそこにある、外の光景に抱いた感触を逃さない様に走らせた筆の集中によって画面に生まれた綿菓子の如き時間の膨らみが「モンブラン」の印象を、私たちの手が届く距離に感じ取れる神秘さとして好ましくしている。そういう感想を抱いた。
ここでも果たされていると感じ取れはする主観と客観の合一は、けれどどこか前のめりで不安定な揺れ方にも見える。だからこそ写り込む、逆光を浴びた画家の影は自己主張とまではいかないけれど鑑賞する筆者の感情の摘みを、ネガにもポジにも動かせるパラメーターの自由さを思い出させる。好きにも嫌いにも振り切れるその時を筆者は存分に楽しめた。
だからなのだろう、ここに来て改めて抱く「日本画」というジャンルの意義は何なのかという疑問。アジアでも、中東でもない、この「日本」画という括りが果たそうとするものは一体何なのか。
外国の景色を水墨画や西洋画の技法を身に付けた画家が描く、そうして生まれる表現の良さを語るにあたってジャンルが果たす類型的な特徴は確かに便利であるし、体系化された技術としても把握でき、史実として纏めるにあたって有用であろう。しかしながら絵画も含めて表現は観る側の心を動かしてナンボ、そして所詮はその程度と割り切れるからこそ例えば政治的主題に対しても実利重視の論理的アプローチとは違った意味を社会のど真ん中に生み落とせる。表現全般をこう捉えた時、「日本画」というジャンルをそのままに受け取るのは躊躇した方がいいのかもしれない。なぜなら上記したように西洋画も日本画も同じ絵画表現という一段上の括り方を行える。そしてその絵画表現全般から受ける感動などの心的な動きにジャンル的な区分は表面的にしか働かない(と筆者は実感した)。ならばどこまでも細分化し得るジャンルという括りは絵画等の表現において当然に必要でない。
けれど他方でそれらを無下に捨てるのもまた違う、そう筆者は直観している。良いとこどりの折衷的立場のズルさを認識しつつ、無知ゆえに何も恐れず「日本画」を上下左右にひっくり返して見る方がかえって日本画をよく知れ、また十分に楽しめるのかもしれない。ジャンルという区分が成り立つ核心から広げて見える日本画の過去と未来があるかもしれない。そう考えて覚えるワクワクもまた、無知ゆえの楽しみになった。
三
さて、と気持ちを改めて鑑賞した川合玉堂の「山雨一過」と「朝晴」に対して強く感じたのは画家が見極める印象的水準の在処だった。漫画らしさを彷彿とさせる抜け感あるタッチは画家が抱いた心象風景の、その「心象」ぶりを最後まで維持する意図をもって描く。自身が見ている風景の匂いや陽光を視覚的に伝える為、けれど写実的になり過ぎないように抑制しながら、もっと言って写実の描写に向けた制動の意識そのものを軽やかに解消しながら外界に向けて個人的な主観を押し進めていく。誰にとっても覚えある一枚として、けれど誰かにとっての一枚に決してならないように注意深く意識して、感じ入って、描いていった。
そうして生まれる非人称性は前記した主観と客観の合一の表れとは確かに違う。蕩けるまでに煮込まれた鍋の中にある古き良き風景、それを皆で等しく味わい、わいわいと語り合う。丸く囲んだテーブルに着席する鑑賞者と名乗る人称性を自由闊達に交換し合う。そういう連帯の一般性を示唆しつつも、しかし個々人の意識に至るまで引き摺りはしない。合一の手前に腰掛けて、この身を休める安心感。川合玉堂の絵画表現に覚えるこの感覚を筆者はまた好ましく思う。
翻って観る奥田元宗の「奥入瀬」は描かれた春の景色も秋の景色も『奥田元宗と日展の巨匠』展の目玉である。特に渓流を生む地形に根を張り、赤く染まった樹々の豊かさを魅せる「奥入瀬(秋)」の光景の燃えっぷりは特筆に値するし、同系色を映えさせる目的で施された部分、部分の意匠的工夫は具に観察して心躍るばかり。それらを引っくるめて成り立つ全体像をこちらは実物として存在する(と感じて止まない)ベンチに腰を下ろしてゆっくりと、じっくりと眺められるのは幸せでしかない。
近付けば当然に失われる全体像に代わって、何度でも筆者の視界に収まる自然造形の単純でない描写は生命感に満ちている。必然であろうがなかろうがそこに存在するものに向ける畏敬の念は筆者のここから生まれるものだから、ここから始まる交感がある。冬を迎える前の移り変わり。終える実りの有難さ。その儚さを思う文脈が誘因する個人的趣向に浸れるから、緑溢れる「奥入瀬(春)」の清涼感も良いけれど「奥入瀬(秋)」を筆者は贔屓する。この点で、「奥入瀬(秋)」でも達成されていると感じる主観と客観の合一はどこかまた違う印象を受ける。ここに来て急に口籠った表現になって申し訳ないが、表現ぶりが一周回って戻って来るというか、観察対象に身を投じた画家がその魂だけを残して「私」の隣に帰って来たという様な世界の提示を試みている。だから真理を知って下界に身を置ける。少し浮いた遊び方を行える。そういう気分を味わえて、嬉しい。主観的にこう述べることを自分に許せるのだ。
以上の鑑賞を経て、またまた分からなくなる日本画という表現。日々の努力を通じて健脚を維持し、もっと触れる機会を持ちたいと心新たにする。
気付き