かもの野ざらし 第一号 令和三年十月
目 次
短詩集 一
弟を裏切る兄それが私である師走
風が吹いたら
短詩集 一
はにかむいつも雨色の服
ファインダーに路面電車が溶けてゆく
凪いだ記憶ぼくの語末が乾いている
ノート買って一ページ目の滝壺
この街にも慣れた枯葉に追いつけない
日曜の車窓うまくいかないことばかり
秋燈に画質悪くてもわが子
ブラックと決めていて甘えたくなる
バスの背中に今日を割り切る
ただ坂があって連れて行けない歌
白秋に踊らされる秋風の本懐
無限の日没に主人を待つ椅子
窓あかり生きるっていつも淡い
木漏れ日は雄弁だと思っていた
どの顔が顔と言うべきか月踊る
色づく街を急ぎ足になる
十三夜どこを読み飛ばしたのだろう
落栗のどれか一つはタイムマシン
秋桜の路あれから手を繋いでない
上り坂にも気付かないまま親と子
地図が読める唐梨から潰される
ことば散らかして風吹かない路地
ピント合わないまま雪降って溶けて
弟を裏切る兄それが私である師走
河東碧梧桐の代表句、とは言えないかもしれないが、碧梧桐といえばまずこの句が浮かぶ。
弟はわかっていて裏切られたのかなと思う。でも兄はそんな弟の気持ちには気付いていなかっただろう。兄弟というのはなんとも微妙な距離を持つ関係だ。親と違って、どうしても守るべき一線の外側に、兄弟は存在するようだ。
裏切った時、兄は幼少の頃弟と一緒に遊んだことなどを思い浮かべたりしたかもしれない。それでもなお裏切らなければならない苦しさ。師走でなかったら、返済の期限がやってこなかったら。返すあてのない金を弟から借りる必要もなかったはずだ。自分のふがいなさを、せめて師走にぶつけるしかなかったのだ。
でも、そもそも兄はよく弟を裏切るもののようにも思う。一応兄である自分自身の幼少の頃を振り返って、そう思う。
風が吹いたら
落葉が舞う季節になった。
道路や公園などに落ちる落葉のほとんどは雪が降る前に片付けられるけど、雪に埋もれてそのまま春を迎えるものもある。落葉は今年の記憶だから、雪解けの中に昨年の記憶が紛れていることになる。去年と今年がつながっていることの証として、落葉は冬を越す。
北海道にあるのは四季ではなく降雪期とそれ以外の二季なのではないかと思うことがある。"それ以外"の季節はプロ野球のペナントレースが行われている時期とだいたい合致するので、例年だと日本シリーズが終わり各球団のファン感謝イベントなどが行われる頃は、雪が降っているか否かにかかわらず冬が始まったという感覚になる。今年はプロ野球の日程が例年より遅めだけど、いずれにしても冬はもう少しでやってくる。春になるまで数ヶ月、その頃には自分自身も少しは変わっているかもしれない。
風の強い日、街路樹の葉がどんどん剥がれてゆく。落葉の一枚一枚が今日という記憶を維持しながら、あるものは燃やされ、あるものは雪に眠る。春に落葉を見つけた時、僕はこの日の記憶を呼び起こすことが出来るだろうか。悩み事に打ちのめされているこの日のことを。
かもの野ざらし 第一号 令和三年十月
この一月、いろいろ決断し、あるいは決断を迫られた。まだ決断していないこともある。
こうやってちいさな個人誌をつくることとしたのも、大げさに言えば決断のひとつだ。
決断した以上続けなければいけない。どれくらいの頻度で発行できるかもわからないし、どこまで続けられるかもわからない。それでも新しい道を踏み出してみたいと思う。