本の奴隷
私の主人が経営と料理人を両立させているブックカフェでは、本好きが至高の時間を過ごしに、またはお独り様勉強会を開きに、様々な人が来店する。私もホールでお客様が注文した品を運んだり、フロアの清掃に精を出したり、休憩時間以外はほとんど動いている。
どこの席から、おい、とお伺いを立てる声がしたので近寄る。その人は世間の休日とは逆の日、つまり平日によく来店される方だが、今日という祝日に見掛けるのはごく稀だ。
「はい、どうなさいましたか」
すでに注文していたホットコーヒーは手元にあるため、他に何か用があるのかと問う。
「君は本が好きかね」
強面で年季の入った皺は、私に話を聞いてほしい、とでも言いたげに見ていた。幸いにもアルバイトで働いてくれている高校生がいたので、任せるのは可哀想だがそうするしかなかった。
小一時間は捕まっていただろう。よくも尽きないお喋りに、私はそろそろ限界を迎えていた。
「結局のところ、本好きの輩は皆、本という神の奴隷なのだよ。労働の邪魔をしてすまなかったね、僕はこれにて失礼するよ」
目の前に一万円札と、自宅から携えてきたであろう一冊の本と、名刺らしき紙を置いて、その方は退店してしまった。名刺らしき紙に書かれていた名前を見ると、過去に栄光を残し、今では書店に並ばなくなった有名作家の名前が書かれていた。そして残していった本の表紙や裏表紙を見ていると、バーコードやレーベルの名前は載っていなかった。
きっとあの人は、この場所に置いていくことで、本の奴隷である誰かに「読め」と命令しているのだろう。
本の奴隷