シャンプーボトル
シャンプーボトル
世界が眠るために暗くなる時間。鈴虫が鳴くなか、歩く君とわたしの道標は午後十一時のアイフォンの光。
ふたりの家を出て、蛍光ピンクのネオン管がひかる寂れたラブホテル街を抜け出して、暗い田んぼ道を歩いた。ふとわたしが田んぼの水面に映る信号機のシアンに見惚れていると、手首を強く引かれる。
「シロ、危ねぇからこっち寄って。あんたは歩道側」
「う、うん」
わたしより頭二個分くらい高い位置から聞こえた低めのアルト。その声の柔らかさやそのなかに秘められた愛おしむような響きに、未だにどことなくドギマギしてしまうわたしがいる。
「シロの手、やっぱりちっちゃくてかわいい」
女子高校生のあの日から何年も付き合ってるのに、なかなかあまい言葉に慣れないわたしに気づいていて、わざとかわいいだとかたくさん言ってくるかぜは意地悪だ。
あの日の失恋をきっかけに初めてできたわたしの恋人は女の子で、とてもかっこいいひと。
「いじわる」
わたしが反射的にかわいくないことを言えば、しあわせそうに頬を緩めてかぜはわたしの頭をわしゃっと撫でた。
「ありがと」
「褒めてない、あと髪わしゃってしないで……」
「お揃いのシャンプー、嬉しいなあって思って」
「……ぅ」
恥ずかしくて黙り込んだわたしに、あたしの髪も触る?なんて言って少しかがんでくるかぜ。そういうのずるい。今がしあわせで堪らないのも全部かぜがずるいせいだ、ずるい、だから。わたしは心のなかで言い訳をぼとぼと零しながらかぜのきれいな銀髪にそっと触れる。さらさらで気持ちよくて、鼻先をほんの少し近づければ、お揃いで買ったシャンプーの香りがふんわりと漂った。
「シロの髪からも同じ匂いしてんの、わかる?」
そう言って目を細めながら、壊れ物に触るみたいにわたしの頬に手を伸ばしてくるかぜ。
夜なのに、かぜのしろい頬も派手な髪も薄氷みたいな瞳もぜんぶ、ぜんぶ眩しい。ぱちぱちと目が眩むなか、たたみかけるようにショートヘアーの銀髪の隙間から覗いたばちばちに開いた銀色のピアスが背徳的にみえてしまったわたしは、逃げるようにコンビニまで走り出した。
「変態みたいなこと言わないで……!へんたい」
「ひっでぇ、純粋に話してんのに」
後ろから追いかけてくるかぜと、走るわたし、気づけばコンビニはもう目の前だった。
店内までかぜがくっついてきたら今度こそわたしの心臓は終わる、と思いながら覚悟をしていたけれど、こういう場面ではかぜももう大人だった。普通にわたしの隣を歩くだけで、いきなりアクションを起こしたりはしてこない。
ほっ、と心臓のあたりを撫で下ろしながらわたしは、ふとアイスのコーナーを見た。
「……ばたーあいす」
「これにする?」
わたしが引き寄せられるように手に取ったバターアイスをかぜも手に取る。たべるばたーあいす、と書かれたクリーム色の包装がかわいい。
「これにしようかな」
「ん、お会計いってくるよ」
「ありがとう」
「いーえ」
お会計の最中、煙草の番号を店員さんに伝えるかぜの後ろ姿。高校を出てから黒髪ショートピアス無しから、銀色のピアスに派手な銀髪ショートに激変したかぜ。男の子みたいに高い身長やきりっとしたつり目も相まって、大学のともだちにあんたの彼氏?か何か知らないけど柄が悪そう、なんて言われたこともあったっけ。
一時かぜはほんとは優しいしかっこいいひとなんだと世界中に言い触らしたい気持ちと、わたしだけのかぜでいてほしい気持ちが綯交ぜになって、きっとこれが感情の矛盾ってやつなんだなぁとわたしは思った。そのことをかぜに話したときの、無花果のタルトに埋もれるほどの生クリームを絞ったみたいなあまやかな微笑みをきっとわたしはずっと忘れられない。
過去のことを思い出していると、お会計を終えたかぜがこちらを振り返る。
「行こ、アイス溶ける」
「うん!」
わたしはかぜからアイスのひとつを受け取って、ふたり並んでコンビニを出た。
帰り道にあるだれもいない公園に寄って、ふたりでアイスをかじる。
バターのミルキーな味とお砂糖のあまい味が舌の上に広がって、心地いいつめたさが口のなかを包んだ。
「おいしい……!」
「うま〜」
氷菓のあまさに蕩けそうになっているうちに、アイス棒から溶け出したあまい滴が手首をつたう。
「あ、やば」
わたしが慌てて拭く物…!とベンチから立ち上がろうとすると、強い力で引き止められた。そのまま身体ごと氷菓の垂れた手首を引かれて、皮膚に触れたひんやりとしたざらざらの感覚。
頭が、真っ白になった。かぜの表情とピンク色の舌を見て何をされたのか分かった瞬間、頬がいたいくらい熱くなった。ぎらぎらと瞳を光らせて妖艶な笑みを浮かべたかぜがわたしの手首を離した頃には、あまりの衝撃にわたしはアイスを落っことしてしまっていて。
「あ、あいすーー!!」
「わ、わるい!」
刹那にわたしの叫び声と焦ったかぜの謝罪が夜の無人の公園を飛び交ったのは、きっとわたしたちの数ある想い出のなかでも断トツで笑える。
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