天正プロクルステス
1.一五六〇年 桶狭間
かつて日神が混沌を矛で画きまわし、切っ先から滴った塩が国土を形作らんとした。第六天の王たる波旬はこれを視て、憂わしいあまりに壊そうとした。日神は詐りでもって波旬を退けた。
「……詐り?」
「全ての人間は生きたいのだと」
頤を捉えられた口許が歪んだ。「それは、非道うございますな」
一五六〇年五月十九日、累々たる四千の骸を足下に立つ男。跪坐する男。
「お前の先祖が俺を謀ったツケを払ってもらうぞ、十兵衛」
「しかし、貴方は生きたいのでしょう?」
少なくとも、死ぬつもりはないようだ。
夕刻、日没にはまだ間がある。日のあるうちにこの男は居城へ戻るはずだ。そう『信長記』が伝えている。グレゴリウス暦の六月十二日、日没は午后七時頃。只今は眩暈がするような灼けた空、光。
この日は早朝からうだるようだった。高温高湿。ここらの人間ですら耐えがたい。東国からきたものたちには尚更だった。今川治部大輔は武田·北条から派兵された軍兵のため、みすみす涼しい山間へ馬首を向けねばならなかった。だが、まさか大将までが、そのような危ういところへ立ち入りはしない。それほどマヌケな武士ではない。今川治部と旗本らは、小高い丘の上へ陣を布いた。
近くの洞迫間という村から酒がきた。地侍、百姓らが希求することは一つしかない。先祖代々の土地の所有を許され、年貢などは、なるだけ取られぬように。何所の馬の骨が胡座をかこうと、かまいはしない。ただ、血筋が立派なのにこしたことはない。
今川氏は足利の一門、比べて現在この土地を支配するのは、元々は太守の代官の、その臣下の一人でしかない。
「さもなくば、これほど損失の大きな博打などなさらない。二万の兵が府中を出立したときに、さっさと降伏するべきだった。だが、そうしなかった。貴方は死にたくなかったのでしょう」
「ちがうな。赤鳥に鳥見を付けてあったからよ。俺は負けぬとわかっていたのだ」
十兵衛の眸に悪しみが宿った。見下ろした男は快そうに口角を吊り上げた。
「……わたくしが、今川の軍を抜け、遁げたならどうなさったのです」
「兵蔵が風よりも速く駈け戻り、お前の室と子を殺しただろう」
午后一時、俄に大雨となる。休息は思いの外、長びいた。今川治部は危惧した。兵どもは雨をよけて方々へ分かれ、地面はぬかるんだ。酒杯や喰いかけのものが、そちこちの水たまりでつぶてのような雨に打たれていた。
山間のこの一帯を、土地のものたちは田楽ヶ坪と呼んでいた。
「三郎どの、やはり貴方は天魔のようだ」
男の所有する運を味方につける力。
この足止めがなければ、三郎と二千の兵が駈けつけるより先に、今川は行軍を再開していただろう。
場所は重要ではなかった。ただ、大将の所在さえ判明していればよかった。
二千の兵で二万の大軍は破れない。
だが、一人の人間なら殺せる。二千の兵が旗本をひきつけているうちに、それらには目もくれず、己一人で今川の首を取ればよいのだ。
うつけにちがいない。
「貴方は、自己に死が訪れることなど決してないとおもっている」
「そう云うお前は、死にたがりだ」
血の染みた弽が十兵衛の頬をなでる。セクシュアルでさえある手つきで。血はすっかり乾き、白く水気を含んだ頬を汚すことはない。
十兵衛は面をそむけた。
「可哀い奴よ…お前は赤鳥を見張り、お前のところの小兵衛が弥次右衛門へ知らせに走ればそれでよかった。まさか、お前自身が赤鳥を仕留めるとは──流石は土岐の血」
鋭い目差しが三郎を射た。三郎は大声で嗤った。
「それを云われるのが、お前はきらいだったな」
正史には何も記されない。王を生み、王を殺したが故に、のこらない。
午后二時。
田楽ヶ坪の西北五〇〇米に位置する太子ヶ根に三郎はいた。雨は止んでいた。日が照りつけ、草木の湿りを気化させて息苦しいほどだった。太子ヶ根の山上へ放った斥候の目には、今川の「垢取り」がはっきりと視えた。兵力を分けたとはいえ、ざっと五、六千。
「今川も大したものよ、あの混乱の中でもうろたえはしなかった。陣の正面へ山犬どもがおどりかかっても、兵らを助けに山間の死地へのこのこおりてきはしなかった。すぐさま馬首を返した、我々の計画どおりに。俺は小平太と新介だけを伴い、山裾を迂回し、今川を目指して突き進んだ。が、山田新右衛門という武士が立ちはだかった。この男は本来ここへいるはずではなかった。目を抉られ、馬上からころげおちながらも、山田は俺の長柄を叩きとばした。俺は太刀を抜いた。だが、赤鳥は遁げていった。俺には、このたった一度しかなかった。次はないのだ。そのときだ──銃声、馬脚が空を掻く、算を乱す旗本ども、駈け抜けていく一人の兵、そして、さながら風切り羽のようであった。三尺六寸の備前長船近景、よくお前に扱えるものよ」
スマートではない。
甲をつけた相手に長刀は向かない。目を回させるのがせいぜい。今川治部は頭部をしたたかに打たれ、地面へおちた。十兵衛は半ば太刀の重みに体を任せながら、しかしそれを完全に制して刀を返すと一人の旗本の馬の首を掻いた。諸共ドウと倒れ、投げだされた若武者に止めを刺したのは三郎のあとを追ってきていた溝尾小兵衛だった。小兵衛は主人である十兵衛へ白い歯を視せた。十兵衛は駈けだしながら短刀を抜き、呻く今川治部の体を足で仰向かせると咽笛を切り裂いた。
雨上がりの眩い日の下。
むせかえるような温い土と草の匂い。
全身にからみつく汗。
不快だ。
服部小平太と毛利新介が旗本たちを追いちらした。山間では未だ合戦がつづいていた。だのに、三郎は見入った。地面で血潮を吹き上げる今川治部の死体はシュールですらあった。それを間近で、しかし返り血に汚されることなく見下ろす男は白昼夢だろうか。古の王の弔いを山頂から視ていた鬼。苔生した古木に宿る神。それに近いもの。やがて、十兵衛は悼むように目を伏せた。
『武功雑記』には、東三河の牛久保城主·牧野右近太夫に仕えたとき、彼の知行は百石ほどであったとある。
江戸期の制度では、かろうじて旗本になれるくらい。
「弥次右衛門には、いずれ城の一つでもくれてやる。お前には、国をやろう」
十兵衛は苦笑しつつ、立ち上がった。二人の男の背丈は、ちょうど同じくらいだった。長く長く、同じようなシルエットが、二人の足下にしがみついている。
三郎は二十七才。十兵衛は二十才。
後世、利巧でうつくしい少年と、ハゲあたまの凡小な老臣という、大衆的なキャラクタに分けられる以前の、三郎がもっとも哀した、彼。
「わたくしなら、お預かりくださった女たちとこの地を去ることだけで、十分」
十兵衛は云った。「以前にも申し上げたはず、高禄を頂こうとも、お仕えするつもりはございません」
「いいだろう」
三郎は子供じみて口を尖らせた。「だが、お前は俺のものだ」
わかっている。
「オヤジどのが末期に俺にくれたのだ。現在は何所へなりと行くがいい。范可から俺の国を取り返したなら、お前は俺に所有されねばならない。……同じではないか。お前の先祖が俺を謀り、皇位の証を掠めとった。そして己の血をうけたもののみが、この国土を治めうるのだと定めた。天孫は枝分かれし、六十六の国を占めた。その枝の末が、お前だ。お前は、皇位の証たる勾玉。なくてはならぬ」
「まるで、天子にでもなろうかというおっしゃりようだ…」
三郎は腹を抱えて嗤った。
2.一五八二年 安土
酒が飲めぬと、いつもこうしてもてあますと、よく貴方は云った。他の方々が酔いつぶれてしまえば、取りのこされるのは、わたくしと、貴方だけ。お睡りなさいませ。あとのことは、何も。
(お前の出自は、その地方でも指折りの名門だった)
『美濃国諸旧記』には、そうある。あれなど、大方はフィクションですが、一五三三年に一人めの主人を殺したところの、のちの梟王──貴方さまのオヤジどのが、わたくしの一門から女を正室へ入れました。これより国王とならんとする男が、たった一つしかない「正室」という位に坐らせて良しとするほどの、価値が、一門の名と血にはあったのです。
(二年して、一女が生まれる。これが俺の室となる)
同じ一五三五年に、わたくしの父は梟王によって討たれた。しかし、わたくしの年令を遡れば、起点はそれから五年もあとになる。
(死ぬといっても、色々とある)
わたくしにとっては、父はとうに死んでおりました。
(光安という叔父がいたとか)
名さえ定かでない兄亡きあと、頑是ない甥に代わって所領を治め、わたくしが成長すると待ちかねたように家督を返上した、当主の坐を盗り合い、血で血をあらう乱世にあっては、奇異とすら云える人間。のちに遠山金四郎という一大スターを生む遠山氏の先祖·遠山景行と同一人物だとか、湖水を馬で渡った左馬助光春は息子であるとか。ヒロイックなキャラクタがことごとく光安につながる。
応仁·文明の乱から百年。
京兆を焦土と化したこの内乱が、一体何のためのものだったのか、知っている人間はおりますまい。火種を蒔いておきながら、足利将軍は日々他人ごとで大酒を飲み、天下をかえりみることはなかった。泥水を啜って生きぬいた、名もなき力たちは、各地で将軍という保証の箔が剥げた旧き名たちを克服していきました。公方さまを頂点とする統治体系は崩壊し、力のあるものが支配するという動物的な掟に従いながらも、一国の主となるには皇統につらなる血や名が必要だと、彼らは不可解にも信じていたのです。羽をむしられ爪を抜かれた太守の子孫をうやうやしく飼育していた理由は、ただそれでしかない。
我が国の太守──わたくしから視れば宗主である土岐さまは、源氏の血をひき、応仁の大乱をスケールダウンしたようないさかいを、おのが領国で再現してみせました。父が子のうち、兄でなく他のものに家督をゆずろうとする、きっかけも同じ。長幼の序はこの頃になっても確立していない。それは江戸期になってからのこと。平らかな時代の当主なら、長子が凡人だったとしてもかまわないでしょう。だが戦乱の世では、それは命取りになる。とはいえ、そうした筋のとおった理由で長子以外に当主をゆずろうとした例は、いくつあるか。そこに贔屓や周囲の思惑がからんでくるから、兵火となる。
身内同士が二つに分かれ、敗れたほうが他国へ亡命しては、その土地の大名をうしろ盾として舞い戻る。そんなことを何度くりかえしたか。たかが一国の太守。亡命先で、おとなしく捨て扶持をもらい、不如意な生活としても、戦で疲弊した土地や民と比べれば、どれほどマシかわからないのに。ろくなことをしない太守より、出自が卑しかろうと、己の主人を殺そうと、それなりの安定をもたらしてくれる成り上がりもののほうがいいに決まっている。百姓たちだけでなく、国人領主らも本心ではそうにちがいない。だのに、口では血と名をとやかくと云う。
(オヤジどのは太守を毒殺し、それへあてがっていた女を今度は俺へよこした。俺の亡き父は土岐を見限り成り上がりものの梟王を撰んだ。オヤジどのには力があるが、名がなかった)
一五五二年、土岐の支族であるわたくしは、あの方の猶子となった。
それに先立つ頃、貴方さまのご正室を生んだ一門の女性が死去しました。わたくしどもには、いまわしき旧き名はあるが力がない。ヒロイックな叔父でなくとも、一門の保身のために、何をするべきかわかりましょう。よせあつめれば、一人の光安になるくらいの身内や旧臣たちも、とうに人間とは云えぬありさまの父にも。
(一五五三年、俺は富田の聖徳寺でオヤジどのに会見った)
家督をついだ貴方は羅刹の如き血族や佞臣を欺くため、うつけのふりをしていた、その日も湯帷子を袖脱ぎにして、虎と豹の皮の半袴、火打ちぶくろやヒョウタンを七つも八つも腰にぶらさげ、金銀拵えの刀の柄には藁縄、腕には太い麻縄、そんな身なりであの方が覘き視る前をとおった。しかし会見の坐には、折り目正しい装束を召して現れた。それで人々は、日頃のふるまいはカムフラージュであったかと了解した、と。──まさか。己は阿呆だと宣伝などすれば、お身内はこれ幸いと討ちにくるでしょう。そんなものは平和な世にスポイルされた人間の発想にすぎない。貴方さまは本当にうつけだった。だから、近習に代役をさせ、覘き視をするあの方と一行を、更に盗み視て嗤っていた。
(日に灼けて岩のような面の老臣どもの中に、皇子のような少年がまじっていた。オヤジどのに近づいて耳打ちすると、老臣どもは目を見交わして口角を弛めた。身の丈をしのごうかという太刀が目をひいた。その少年は、いつの間にか、先へまわって杣道をおりる俺と取り巻きどもを待ちうけていた)
「もし」と声をかけると、貴方はしばしのあと、バレたか、と哄笑なさった。あまり遅れませぬよう、山城守どのが。わたくしはそれだけ云って去った。背中に貴方さまの声がきこえました。
「あれが、オヤジどのの孌童か」
わたくしは、決してそれのみであの方に気に入られているのではないはずだった。しかし「それ」を云わぬ人間は代わりに土岐の血と云った。わたくしは、何もかも全てを知っていなくてはならなかった。そして、わたくしは何もかも、全てやれた。期待されて、できなかったことは一つもない。それらのつまらぬ仕事に比べれば、人間の心裡をはかるなどたやすいことだった。他人のしてほしいよう、或いは敢えて危惧しているように、行動してやるのは自在だった。わたくしは物語を視る如く、今現在を分析していた。己すら、その物語のキャラクタの一人にすぎなかった。
貴方さまは、後年わたくしが陣中から知らせる報告を「見る心地」がするとおほめになった。それはつまり、小説作者の目ということ。現在、己の人生でさえ、架空と捉え冷めた目で視ている。怠惰ではない、わたくしは既定のプロットのとおりに生きるために、気のとおくなるような努力をつづけた。その物語を、一体何者が定めたのかと問われれば、答えようがないが、明白なことがあった。わたくしが己のためにしてやれるのは、死のみであるということ。
(死にたがりのお前は、しかし戦で死ぬことはなかった)
合戦は個々人で行うものではない。わたくしの立場が士官であれ兵であれ、わたくしの都合で他のものを煩わせるわけにはいかない、それに。
殺到してくる軍兵を眼前に、わたくしは討たれてもいい、とかんじる。しかし彼らの面が判別できるほどになると、悪しみが胸をつくのです。
人間は、何と醜いのか、と。
聖徳寺での会見の折──両者とも立派な装束で、何の面白いこともないデモンストレーションもおわろうかというとき、貴方は、つと扇子をわたくしのほうへ向けて、あの方に土産をねだりました。
「視れば由緒正しき逸品のよう、拙者に頂けませぬか」
あの方は脂っこい嗤いを湛え「すまぬが、アレばかりはゆずるわけにいかぬ。何しろ名高いのでな、それに肌がうつくしい」
野卑な声が堂内に充ちた。
「では、せめて間近で拝見したい」
わたくしは坐を立って、太刀を抜くと刀身を拭い、貴方に献げた。
貴方の目が、わたくしの体を上下へ舐めた。
(みとめよ、お前の愉悦を)
汚されるのは、快い。己が壊れていくのは、快い。
(お前を太守の坐につけ、オヤジどのは治天の君となるつもりだった)
当時、亡き公方さまは政争に敗れ、この近江の朽木に落魄していた。それで、あの方の計画は実現することがなかった。これはあとになってわかること、あの方はまさか、公方さまが京へ戻るより先に、たった三年ののち、己が息子に討たれるなどとはおもってもみない。わたくしを元服させ、哀れな父を文字どおり当主の坐から追い払った。不都合なのは、あの方には嫡出の女子が貴方へ嫁いだ一人きりしかなかったこと。だが、それもいずれ嫡子の儲ける孫娘か、貴方が死ぬかしたら、返されてくる女をあてがえばいい。当面のリザーヴとして、わたくしの一門で、頃合いの年令の女性を正室として娶らせました。名と血が濁らぬようにと。
不憫なのはその女と、あまりに生一本な父君です。祝言を前にして、女は疫病に罹り、生命こそ助かったものの、容貌が崩れてしまった。それを気にして、わたくしにすまないからと、同腹の妹を代わりに娶ってほしいと申し入れてきた。いずれ用済みになれば、モノのように里へ突き返される「正室」とわかっているのに。云うまでもなく、あの方にとっては、一門の女でさえあれば、あとはどうでもいい。
(お前は痘痕の姉娘を娶った)
只今より十一日のちの一五八二年六月十八日、わたくしども一族を弔うと、父君である妻木勘解由左衛門どのは凞子の墓前で自刃する。
3.一五五六年 長良川
あのとき、貴方さまとわたくしは、ほんの束の間、ことばをかわしましたね。
貴方は二十町ほどあの方を見送った。先程代役にさせていた格好を、今度はご自身でしていたのだから、富田の寺内町の人々は目を丸くした。プライドの高いあの方は苦虫をかみつぶしたよう、馬銜を並べながら、一言の会話もない。そこで貴方はわたくしに声をかけた。あの方が頤をしゃくったので、わたくしは馬をよせた。
「その太刀は」
「当家の伝来のものでございます」と、わたくしは云った。
「我が室の母君の里のお方とか」
身を硬くするわたくしを、貴方はにやにやと注視した。
「うらやましいことだ。生まれついての源氏なら、血筋をでっち上げる必要がない」
貴方は藤原氏を称していた。やがて桓武平氏ということにかえる。
(本当のところは忌部氏だ。俺の先祖は越前の神主だった。上古、俺はお前に仕える神官にすぎなかったということだ)
如何に源平云々の姓がありふれているといっても、どれが本当でどれがそうでないのか、皆ちゃんと承知している。だのに、建前として、大名というのは由緒ある血筋でなければならぬと本心から、信じている。名が先か、力が先か。力あっての名だ。力があっても、名がなくては格好がつかない。旧き名と、名もなき力とは、そのように相互補完的だ。だが、それを理解できぬひともいる。
我が母は若州太守の女であり、やはり源氏でございました。一介の成り上がりものに利用される夫と子とが、口惜しくてならなかった。土岐氏の通字は「頼」であり、支族であるわたくしどもも、わたくしの祖父の代まではやはり「頼」の字を用いておりました。ところがあの方によって土岐さまが追放され、わたくしが猶子となると、我が父は憚って「頼」の字を捨て、始祖·頼光から「光」の字を取って諱とした。のちに元服したわたくしの名にも、やはり「光」の一字がある。
我らにも云い分はある。しかし、土岐の名ばかりでなく誇りまで売ったと云われても仕方がない。我が母は屈折し、ひそかに「光」を「頼」に置き換えてわたくしの呼び名とした。──頼秀、と。その気位高く、愚かな母も、米を喰わねば生きられない。我らが米を喰えていたのは何故だったのか、理解することなく世を恨みつづけた。
人間の耐えがたさ。
(オヤジどのの長子は妾腹、土岐の血はひかない)
新九郎高政どのの生母は土岐さまから下賜された女性、ために新九郎どのは土岐さまの胤ではないかという流説が、かねてよりあった。恰も白河法皇が、懐妊した寵姫を平忠盛に賜り、女子なら朕の子、男子ならお前の子として武士と致せ、と詔した、などという清盛の伝説のように。本当のところはわからない。しかしこの流説は、あの方の国主としてのまずさがあきらかとなるにつれ、大きくなっていきました。
あの方は取り合わなかった。嫡流はわたくしを介して土岐の血筋につなげ、新九郎どのにはご自身が盗った代官の地位を与えるおつもりのようだったから、何にせよ土岐のうわさは都合がいいとおもったのかもしれない。もっとも、その企みからして、新九郎どのにとって面白かろうはずはない。
(子は己が捨て児であればと祈る。哀されぬ理由となせる)
新九郎どのの面立ちは、あの方とそっくりだったというのに。
彼とて、やくたいもないうわさを本気にしていたわけではない。だが、新九郎どのは梟王の長子だった。あの方の政を快くおもわぬものたち、利を貪るものたちが耳許で叫くのを聴いているうち、それが心裡に押し込めた激情とむすびつき、いつしか本当ではないと知りながら口では詐りなく、それを語るようになったのかもしれない。過半の国衆らに担がれ──当人は、自身の輿を「担がせて」いるつもりでしたが、あの方を強引に隠居させました。わたくしどもは、一蓮托生。
あの方が安々と読経三昧の日々に甘んじるわけがない。戦となった。わたくしには、しかし主人を次々と殺し、実質的に国主にまで成り上がった梟王の最期が、我が子に討たれるというシナリオであったこと、あまりに相応で、完全だとさえおもえるのです。
そう、この世に出生する以上の理不尽はない。ましてや、それを他でもない我が子に強いるなど。
(矛盾している)
わたくしとて、矛盾している。その理不尽さを、身が千切れるほど知っているというのに。
部屋を訪うたとき、もうわかる。そこに充ちみちている匂い、侍女らのおもわせぶりな目付。面映ゆげに見上げる室に、わたくしはわかっていながら「何か良いことでも」と声をかける。祝福を心の底から信じている室が、わたくしにはふと、彼岸に立つひとのようにおもえる。わたくしとは、別の世界の存在なのだと。
だから、わたくしは問うた。「おそろしくはないか」と。疑うことを知らぬ室は、それも女の身が初めて臨むことへのいたわりだとおもう。室の心はもう、母となっている。かたや、わたくしは。
ひとは死ぬまで生きねばならぬというのに、その因子の一方はこんなにも怯え、うろたえている。そうして理不尽にも生み出された子が、父を殺すのは当たり前だ。至当であるからこそ禁忌とされている。
(このときのお前の子は、女だった。〈俺の女〉だ)
やがて、父子相克のおわりがきました。一五五六年四月二十日、婿である貴方さまは援軍に駈けつけようとなさったが、間に合わなかった。
新九郎どのについた兵は一万七千、対するあの方は、たった二千。
(お前もその中にいた)
城門を固く閉ざし、一兵たりとも動かしてはならないと命じて、わたくしは身形をかえて一人、あの方の陣へ向かった。これは忠誠心なのか? きっとそうではない。情けのようなものではあったのかもしれない、けれどそれが全てではない。わたくしは、あの方の猶子であった己、そう他者に知られている己が、あの方の死の第三者であること、何喰わぬ面で生きのびることが醜くてならなかった。耐えられぬとおもった。
「十兵衛か、眷族を皆殺しにするつもりか」と、あの方は云った。そこにいるわたくしには、土岐一門であることを示す何一つもない。「一万の兵でも及ばぬというのに、お前一疋如き、要らぬわ」憎まれ口を叩くのが、いい年令をして子供じみていて、わたくしは口許をほころばせた。
あの方はもう何も云わない。
井ノ川──のちに云う長良川を挟んで対峙した新九郎どのの陣には、自己の名分を示すため、土岐の印が溢れておりました。夥しく立ち並ぶ水色桔梗の旗を視たとき、わたくしは、これでもう己は土岐の人間ではない、とかんじた。わたくしは十六、ここへ辿りつくのに、何と長い月日を生きたのだろうと。
云うまでもなく、それは誤りだった。
(お前は死ななかった)
あの方は死んだ。
門を閉ざしたまま、わたくしは坐していた。殉死するつもりなど、初めからなかった。わたくしは生きねばならなかった。中立を決めこんだ国衆どもを、新九郎どのが硬軟取り混ぜて臣従させていくのを、息をつめて見守っていた。──遁げておれば、とあとになって悔やんでも、何にもならない。遁げても同じだったでしょう。
田畑の彼方に長井道利の兵がひしめいて現れたとき、わたくしは鞍もおかぬ馬に取りつき、土煙が間近くなるより先に走り出していた。あちらは面喰らったことでしょう。だが、わたくし一人とわかると、どっと嗤いがおこった。
「稚児どのではないかあ!」
わたくしの心は悪しみに充ちた。
新九郎どのがあくまで強硬であったなら、わたくしは彼の面前へ曳かれていき、如何ようにも咎めを受けるつもりでした。仏門へ入っていた弟を呼び戻し、それへ当主の坐をゆずる──万一わたくしが討ち死にするか、道三入道に加担していたと「云いがかり」するものがあっても、わたくしはとうに廃されている人間、牢人として与したにすぎぬと、そう云いとおして証明できるだけのことをしてあった。彼は領内の安定を図るだろう。国衆どもを糾合せねばならぬときに、一門ことごとく斬られるということはない。それでは否定したはずの、あの方の圧政を再現するだけ。我らは飼育されればいい、それは以前と何一つかわらないではないか、と。
(誤算は、尾張上四郡を領する岩倉の織田伊勢守。俺を叩き殺したくてたまらない、俺の同族)
その頃、既に新九郎どのは岩倉と内通しておりました。織田伊勢守は、尾張下四郡の本来の代官で、貴方さまにとっては主筋でもある織田大和守を弑逆し、清洲の城と太守を手中に収めた貴方がうるさくてならなかった。新九郎どのは従前どおり貴方と同盟することもできたが、そうでなく岩倉とむすんだ。敵対した貴方さまには厄介な札が沢山あった。あの方の婿であり、あの方の嫡流の末子が、貴方の下へ亡命しておりましたから。その気になれば、新九郎どのの膝下へ攻め込んでくる名分は十分だった。
(岩倉が俺の抑えとなったものの、お前は一転して危険な存在となった。清洲の俺の下へ走って〈玉〉として担がれるか、国内にあっても反乱の盟主となりかねない。生かしておく道理はない)
わたくしは甘すぎた。
(お前は利巧で、真面目である故に、なりふりかまわぬものどもの汚さが視えない)
だが、その汚さが生きるということだ。新九郎どのは生きようとしていた。たった五年ののちに病死する、既に病の発現した、死より先に亡んでいく己の肉体をみつめていた。
それに、あの時点での貴方さまは、お身内との争いに忙殺されている一地方大名にすぎなかった。まさか将来のことまで、彼は知る由もない。危険因子を抱え込むより、叩くことを撰んだとしても無理はない。何しろ、彼は梟王の子なのですから。己の父が三人の主人をそうしたように、貴方さまに腹を喰い破られることを危惧したのです。
父殺しの范可だなどと、あの方の存命中から名乗っていたのは上すべりなデカダンスかもしれないが──彼が自己の出生の真実を冷めた目差しで視ていたのはまちがいない。
(奴を恨むか)
否。
彼もまた、実質のない名に囚われていたにすぎない。土岐さまの子ではないと、他でもない新九郎どの自身が心得ていた。そして、その詐りの名が、どれほどの力を有しているのかも。彼を担いだものたちも皆、本当ではないとわかっている。わかってはいるが、利用せずにはおかない。
詮方ない。
人間が生きるとは、そういうことだ。
(だから、お前は死にたがりだ)
「玉」だ「盟主」だなどと、おかしうございますな。何一つ主張をいれられず、長井の兵たちから嘲罵をあびせられ、これより灼きおとされる城へ馬首を返すしかなかった、わたくしが。
父も母も、弟も死んだ。臣も、郎党や下女らも、沢山死んだ。わたくしも、死ぬはずだった。
(兵蔵が助けた)
貴方さまが、わたくしを遁がすよう命じた。
長良河原での合戦の日、わたくしは貴方に対面している。あの方が討ち取られ、軍団は瓦解し、わたくしと、あの方の末子である新五郎利治どのは、貴方の布陣する大良へと敗走した。新五郎どのは貴方さまのご正室と同腹、あの方から敗北の折は清洲へ亡命するよう云い含められていた。新九郎高政どのが差し向けた兵に阻まれ、合戦に駈けつけることが叶わなかった貴方は、我々からあの方の死を知らされると、撤退を決めた。尾張は川向こう、ご自身が殿軍となり、他のものを退かせた。わたくしは新五郎どのを舟へ乗せた。その舷にも矢柄が突き立つ。我らを追って水色桔梗の軍兵が殺到した。貴方さまの鉄砲足軽の一人が射たおされた。わたくしは咄嗟に鉄砲を拾う。
(鉄砲という外つ国の武器が伝来して、まだ二十年にもならない。あの時代、扱い方を心得ているのはほんの一部の人間にすぎなかった。況や実戦に用いるなどは、俺のような酔狂なものしかやりはせぬ。威力はあるが、次の発射までに時間がかかる。その隙に攻めよせられたら、それまで)
追っ手の将を狙った。耳をつんざく音と共に指揮官が馬上から弾きとばされると、新九郎どのの兵どもは怯んだ。「早く」と、わたくしは叫んだ。
(俺は弾込めの済んだ己の鉄砲をお前へ投げた。足軽を肩に担いだお前は、何もかも承知しているように、それを受け止め、次の狙いをつけた。片手であったから、前回ほどの確かさはなかった。とはいえ、敵の足止めには十分だった。──この男がほしい。俺はおもった。そして、これはあのときの少年ではないかと気づいた。お前は面を包み、既に体つきも青年になっていたが、俺にはわかった。お前は、舟には乗らなかった)
貴方さまは最後の舟の上から大音声を張り上げた。「その方も退かれよ」と。わたくしは汀に立ったまま「己は往けない」と貴方さまに答えた。
(小さく振り向き、目礼した目許が匂った。どうして遁げなかった。じきに范可が、お前を扼する父も母も、室も胎の子も皆、殺してくれるというのに。お前は軛から遁れることができた)
苦悩こそが、わたくしそのものであるから。
仮に、あのとき身内のものを見捨てて遁げていたなら、わたくしを助けようとはおもわなかったのではありますまいか。貴方のその、妥協を許さぬ潔癖さ、僧としての権益を喰らいながら、俗世の塵まで掻きあつめる北嶺を灼き払ったように。当主からも主立った臣からも見捨てられた有岡の人質らを、彼らへのみせしめのために虐殺したように。
ご自身の留守中、城を守っているべき女房らが無断で外出したことすらお許しにならない。庇いだてしたものごと斬り捨てた。貴方さまは真っ直ぐで、たわむということができない。ただ、貴方さまにはご自身の尺度に合わぬもののほうを壊していく力があった。わたくしと貴方さまとは似ている。しかし、決定的にちがう。
一五五六年四月、清洲に帰陣すると、貴方はすぐに簗田弥次右衛門どのに命じて、わたくしの動向を探らせた。簗田どのは元々、斯波氏が足利氏から分かれた当初より仕える一門のひとだが、おちぶれた主君に見切りをつけ、貴方に内通すると、織田大和守の家臣である那古野弥五郎どのを使って清洲内部を分裂させた。大和守は太守である斯波さまの謀叛を疑い、とうとう弑逆した。斯波さまの嫡子をまつりあげた貴方は、逆賊討伐の名分でもって主筋の大和守を殺した──尤も、実行したのは貴方の叔父上だが、その叔父上も程なく不可解な死をとげる。斯くして貴方は、このとき尾張下四郡を支配していた。
那古野どのの家来に丹羽兵蔵どのという御仁がいて、貴方の黒子として不可視の糸をたぐっていた。これらの蜘蛛たちが、わたくしを灼けおちる城より助け出した。
現在も眼瞼にこびりつく画がございます。長年病臥している父·光隆は、あきらめるよりない。そう兵蔵どのに告げられたとき、我が母の面から一切の色が失せた。のっぺらぼうになってしまったようでした。ぐずるように体を捩ると、母は早足で父の部屋のあるほうへ立ち去っていきました。駈けるでもなく、うつろな足取りでもなく、すたすたと。その背に焔のまわった舘の屋根が崩れおち、母はもう視えなかった。兵蔵どのがわたくしの腕を強い力で掴んでいました。一拍ののち、わたくしは青ざめた室らを促してそこから遁げた。
わたくしには、母の行動が敬慕の情に発したものではないことがわかっておりました。我が母は成り上がりものにへつらう父を貶んでいた。恨み、呪ってさえいた。だのに捨てていけない。馬鹿げている。今更そんなことをしたところで、何もかも取り返しがつかないというのに。
のちに丹波八上城を攻めたわたくしは、降伏の交換条件として母を人質に入れた。しかし貴方さまが城主の波多野兄弟を処刑したため、恨んだ八上の将兵らが我が老母を城内の松に磔にして殺した。わたくしにとって、貴方は母の仇だ、と。
これは母ものの哀話を好む人々の作り話にすぎない。我が母は父と共に、このとき死んだ。おちのびたのは室と、その世話にきていた、かつて姉の代わりにわたくしに娶されそうになった同腹の妹、わたくしの従者である溝尾小兵衛など、ほんの少数。兵蔵どのにみちびかれ、簗田どのが領する尾張春日井郡の、ある邸へたどりついた。
やがて現れた貴方さまは、わたくしの膝の先へ一通の書状を投げ出した。夜半、灯心を抑えた部屋の中で、それは白刃が振り下ろされたように視えた。
(巷間に云う、道三の国ゆずり状)
死を悟ったあの方が、女婿である貴方に国をゆずると遺言状をしたため、亡命した末子の新五郎利治どのに託した。日付は死の前日、才覚を見込んだ貴方さまに。そんな安易なメロドラマめいたことを、あの方がするものなのか、わたくしには甚だ疑わしうございました。第一、あの方は太守でも国司でもない。地方の有力大名は一〇〇から二〇〇貫あまりの献金で口宣を受領し、名分として官位を得たものですが、あの方はそれさえしていない。現実に国を支配していたのは確かとしても、その地位すら、新九郎どのに盗られてしまっていた状況下で、貴方さまに一体何をゆずるというのか。これこれの証文があると新九郎どのに談判して、どうなるのか。試みるまでもありますまい。
(だが、新五があれを差し出したとき、俺は心の底から哄笑ったのだ)
証文が些かの価値を帯びるのは、貴方に新九郎どのの国を攻め盗る実力があり、その野心があった場合でございましょう。征服を正当化する保証とできる。云うまでもなく、国衆どもは貴方の武力に屈服するにすぎないが、そうして哀れにも跪く口実を与えてやれる。貴方さまが、長年お子をなさないご正室を、その里方と敵対したのちも手許に留め置いたのと、同じこと。そして、この証文を差し出すことで、新五郎どのは自身の継承権をも献上したとみなされうる。現に、新九郎高政どのの嫡子が貴方によって追われたのち、彼は斎藤の跡目こそ継いだものの、生涯貴方さまの馬廻であるに留まった。あの方の国も、城も、貴方さまのものとなった。道三の国ゆずり状なるものは、要は清洲へ亡命する新五郎どのが手土産とするために作成されたものではありますまいか。とすれば、作者はあの方本人と限らない。
(お前はまるで、オヤジどのの情け心を否定するようだ。お前とて、オヤジどのに哀されたのではないか。ただ利用するがためだけの存在なら、青白き名門の伜に戦の指図から調略、内に於いては連歌や茶の湯の作法などを仕込み、剣術や鉄砲の扱いまで師匠につけて習得させたのは何故だ)
あの方は下克上で身を立てたがために、股肱の臣と云えるものが乏しかった。わたくしはそれで、育成されたというだけ。あの方の期待に応えつづけた。
(そうだ、お前は何を与えても砂地が水を吸うように身につけた。オヤジどのは心愉しかったことだろう。お前はオヤジどのが丹精した珠玉なのだ。あの男、范可の心裡に渦巻いていた仄暗き情念、気づかなんだと云うつもりか。斬り殺してやった新五の兄二人とは比ぶべくもない。嫡出であるから可哀がられるのだというなぐさめも、お前には当て嵌められない。妬ましくてならなかったのだ。あの男が土岐の血に拘った理由は、お前への対抗以外ないではないか)
随分と大衆好みのする解釈だ。新九郎どのも不本意でございましょう、私怨に駈られて国を亡ぼしたのだと評されては。
貴方さまが投げた書状を、わたくしは膝に下ろした。貴方は仁王立ちをしたまま、わたくしを品定めしていた。
「これが、何か」と、わたくしは問うた。こんなつまらぬもの、というニュアンスが、にじんでおりましたろう。
「オヤジどのは、俺に国をくれるそうだ」と貴方は云った。「つまり、お前だ」と。なるほど、わたくしはあの方が国主として君臨するための木偶だったのですから、そう云うこともできましょう。
(土岐の名がほしいのか、とお前は問うた。お前の、自己を貶むような冴えた面を見下ろしていると、俺は高ぶりを抑えかねた。お前がほしいのだと、俺は哄笑った。云わずとも俺の企図を悟り、十二分の働きをしてみせる。土岐源氏の血など、お前の性質の一つにすぎぬ、お前の全てではない。お前は土岐の血と名を存分に利用するがいい。それは持って生まれたお前の強味だ。だが、生来の取り柄しか持ち合わせぬなら、ただの阿呆だ。そんな男に用はない。大良河原での寸時で、俺はお前の値打ちを見定めたのだ。国ゆずり状なるものが真実オヤジどのの作成でなくともよいのだ。オヤジどのが俺を哀していたということにかわりはない。お前という珠玉を、オヤジどのはあの男にではなく、新五にでもなく、俺にくれたのだ。それこそが真実ではないか)
貴方さまの口角が、異形じみて吊り上がっている気がした。わたくしの心理が、そう錯覚させたのでしょう。
されど、とわたくしは口を切った。「ご無礼ながら、只今の貴方さまにわたくしを抱え込む余力はありますまい」
なるだけ、ゆっくりとことばをつづけるよう、心がけた。
「貴方さまがお身内相手に汲々としておられること、川向こうにまできこえております。岩倉は元を辿れば主筋でございましょう。それが斎藤とむすんで敵対したとなれば、ご家中も動揺する。そこへ、これ以上斎藤につらなるものを招じ入れたなら、疑心暗鬼をあおりたて、みすみす分裂を促すようなもの。たださえ、二心なく貴方さまに従うものは少ないようだ。まさかわたくしに、そのような力があるともおもいませぬが、新九郎高政が追討の名目ででも攻め込んだなら、貴方さまに抗しきれましょうか。東では、赤き鳥も油断なく目を光らせている」
(お前一流のはったりだ。全て可能性の話にすぎない)
だが、貴方は道理のわからぬひとではない。
「であれば、お前は何所へ行くつもりだ。外戚は若州の武田だそうだが、若狭まで身重の室を背負っていけるのか」
天秤が揺れうごく。貴方がそれを見遁すはずがない。
「他に伝手があるか。兵も財も所有せぬお前を、拾ってくれる人間が何所にいる。ここらの大名はお前の宗主にひっかきまわされ、もう土岐を担いで戦をするのはこりごりだろうよ。それに、お前を抱え込めば斎藤に攻められかねぬと、つい先程、云ったのはお前だ。危険を承知で、担ぐつもりもない、赤の他人を喰わせてくれる奇特な仁が、この火宅の何所におるというのだ。名を失い、身一つのお前を買うてやろうという男は、この俺しかおらぬのだ。ところで、室ら共々助けてやった礼は、どうして払うつもりだ」
わたくしは、右手に置いた備前長船近景の太刀を、貴方へ差し出した。貴方は無造作に掴み、鞘を払った。
仄明かりの中、刀身に見入った。「肌がうつくしい」ことばだけで、わたくしをなぶった。「しかし、この長さ、戦では使いにくかろう。俺なら磨り上げさせる。うつくしくとも、役に立たねば価値は半減する。古き伝統をその身に宿したものを、己に合わせて造りかえるのは、快いことだ」
朽木へ、とわたくしは云った。
「わたくしは、朽木へまいります」
「公方か」と貴方さまは抜き身をかざしたまま、つまらなそうに云い捨てたが、やがて失笑した。「それもよかろう」
(俺は失望してもいた。お前はやはり、旧き名の下に生きる人間なのだと。だのに、お前を遁がすつもりは更々なかった)
では室や女たちは預かろうと、貴方さまは云った。わたくしに一切の余地を与えず、貴方さまは相好をくずしたまま、つづけた。
「気にすることはない、人質だ」
切羽の鳴る音が、冷たく夜にひびいた。貴方さまは納めた太刀を、わたくしの目の前へ突き出した。鉄砲水が押しよせるように、武装した男たちが邸を取り囲む息づかいが、わたくしの全身を包みました。
初出
書き下ろし(「エア名古屋コミティア57」新刊)
天正プロクルステス